(186)金鳥の夏・日本の夏 | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。

 


(186)金鳥の夏・日本の夏


 歌手の美空ひばり氏がお元気だった頃、夏になると【金鳥蚊取り線香】のCMがテレビに流れ、仕掛け花火のオンパレードを背景に、ひばり氏の「金鳥の夏! 日本の夏!」とのナレーションが入る、というものがあった。鮮明に記憶しており、いかにも「昭和」の印象が強い。
 
 蚊という昆虫は、実に嫌なやつで、就寝してからプーンという羽音がすると飛び起きる。しょうがなく蚊取り線香に火をつけるとか、最近だと電気蚊取器 ウイッチを入れる。
 これらが絶妙な効果をあげ、煙が蚊に大打撃をあたえるらしく、飛ぶ力もたちまちに失せて落ちるようだ。落下を確認していないが、たぶん落ちているに違いなく、蚊取り器具、蚊取り線香などは、まことに有り難い。あの独特のにおいが郷愁を誘い、電気式より渦巻き式のほうが筆者は好きである。そうはいってもなにかと面倒だから電気式になってしまうのだが。
 
 ブラジルのアマゾン川の岸で、テントを張ってフィールド・ワークに従事した学者の記録を読んだことがある。高温多湿の地だから、夜になると蚊の大群が飛来する。ここで日本から持っていった蚊取り線香に火をつけ煙を出すと、蚊がいっせいにボロボロと落ちるそうだ。現地の人は驚き、感嘆したと書いてある。蚊取り線香は日本独自の発明である。

 

 作家の吉村昭氏は、徹底的に事実を調べて小説を書く。「ポーツマスの旗」という長編小説を書いたとき、現地を訪れ、蚊が多い場所と知り、小村寿太郎らは、どうやって蚊に対処したのだろうか?と熟考したそうだ。
 

 相手側のロシアのヴィッテはどうかというと、かれを支持する匿名の人からの手紙に、「蚊が国家的重大事を妨げてはならない。蚊を防ぐには生肉の一片を自分の傍らに置くのが一番よろしい。蚊はこの生肉にたかって、貴殿を刺して眠りの邪魔をすることはない」と書かれた手紙が残っており、たぶん生肉を使ったに違いないと、吉村氏は生肉を小説に登場させた。

 

 蚊取り線香の原料はご案内のように除虫菊(じょちゅうぎく)で、明治二十年ごろに外国から輸入された。その頃は、乾燥させた除虫菊を粉末にして「ノミ取り粉」として使われていた。明治十一年に日本の東北・北海道を旅して『日本奥地紀行』を著した英国人女性イザベラ・バード氏は、日本は文化レベルが高く安全で人々が親切と当時の日本を相当ほめているが、ただし夏のノミには困惑している。当時、日本夏季のノミは外国人に悪名が高かった。
 
 和歌山県生まれの上山英一郎(うえやま・えいいちろう)が、蚊取り線香を初めて作って商品化した人とされている。江戸時代、蚊を追い払うのに杉の葉などをいぶした蚊遣り(かやり)火(び)というものが使われていたが、彼はそれにならって除虫菊の粉末にオガクズを混ぜて火にくべてみた。効果はてきめんで、煙にふれた蚊は落ちて死ぬ。
 

上山英一郎は仏壇の線香に注目した。除虫菊の粉を練って線香のようにつくり、その頭部に点火すれば蚊を殺すことができる、と考え付いた。
 工夫をこらし、明治二十三年(1890)に「金鳥香」という商品名の棒状蚊取り線香をつくり、発売した。細長い紙製の箱に、長さ二十一センチの線香が細い束にされて入っていた。線香を三本並べて立てる鉄製の台が付属品として入れられていて、そこに線香を立てて火を点じる。

 

 この製品は売れることは売れたが、短時間で燃えつきてしまう欠点があった。わざわざ起きだして新しい線香を立てる必要があった。それではと線香を長くすると折れてしまう。渦巻状のものにしたらどうか?と彼の妻が思いついて助言したことが伝わっている。
 これによって渦巻き状の蚊取り線香が誕生して明治三十五年(1902)に発売され、箱も現在のような正方形のものとなった。

 

 さてポーツマス講和会議は、この発売から三年後に行われている。小村寿太郎一行は、蚊取り線香を持っていったのかどうか。
 記録には一切ないが、「ポーツマスの旗」の著者、吉村昭氏は「用意して持っていったはず」と推理している。

 ポーツマスに乗り込む小村一行は、外交をはじめあらゆる点で細心の配慮(はいりょ)をはらっているから、開催地ポーツマスの市民感情、生活、風習なども事前に調査し、周到な準備のもとにポーツマスに入っている。
 蚊が多い土地であることも当然知っていたはずで、蚊になやまされて寝不足にならぬよう蚊取り線香も持ち込んだはず、として、吉村氏は小説には蚊取り線香を登場させている。

 

 ロシア全権大使は生肉、日本全権一行は蚊取り線香、この対比がなんとなく可笑しい。

 蚊取り線香は蚊帳とともに、日本の家庭になくてはならぬものだったが、大東亜戦争末期に物資欠乏があり、このあおりで他の生活用具とともに眼にできなくなった。環境は悪化し、蚊が大量に繁殖した。蚊帳(かや)の中にも入って防ぎきれず、人々は江戸時代の蚊遣火(かやりび)がどんなものかの知識はなかったが、同じような方法で蚊を追い立てた。何処の家でも、おがくずなどに火を点じ、いぶした煙を家の内に充満(じゅうまん)させたという。
 

 やがて、終戦後の社会混乱がおさまり、物資も出回るようになると、蚊取り線香も再び日本の家庭に姿を現した。その後品質は改善され、電気式も出回るようになったが、形その他の原理はまったく変わりない。蚊取り線香は「Mosquito Coil」として外国にも輸出されて世界に役立っているが、わが国で発明された最高傑作のひとつと思う。

参考図書:『事物はじまりの物語』吉村昭 著 ちくまプリマー新書