(120)技官・藤原寛人=作家・新田次郎 | 江戸老人のブログ

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(120)技官・藤原寛人=作家・新田次郎

 

 時は明治28年、強国を目指す日本人の勢いのようなものは、正確な天気予報を求めて、気象観測にまで及んだ。

 野中到(のなか・いたる:1867~1955)という人がいた。日本で最も高い山、富士山頂での冬季気象観測に魅せら気象学者として、私費でこれに挑戦、さまざまな準備をした。
 夏の間に山頂まで荷物をあげ、防寒に留意した頑丈な小屋を建築し、その中にこもり一冬のあいだ気象観測をしようという狙いである。標高ほぼ四千メートルという高地での厳寒の気象観測は、さすがに世界の誰もがなしえていなかった。
 
 明治28年9月末、まず夫の野中到が登頂して観測小屋にこもり、ついで10月22日山岳案内人につきそわれた妻の野中千代子が、夫の承諾なしに後を追い、それぞれ、野中到、89日間、野中千代子、71日間の、厳寒の富士山頂で観測、長期滞在記録を打ちたてた。

 しかし未熟な水準の観測機器の故障、重度の高山病などにより、明治28年12月22日に救援隊が山頂まで登り夫妻を救助した。
 

 現在と違い、通信手段、冬山登山の知識、防寒対策、高山病、栄養学などなどがよく知られていなかった時代で、無理もない話であった。
 一日に12回、2時間おきに24時間、気温を記録し続けることは、独りでは絶対に無理と考え、妻千代子が自ら決断し、後を追って助手として登頂した。

 また高山病は酸素不足のため、思考力が極端に低下するそうで、妻千代子の助けがなければ、計画自体が頓挫したと思われる。
 
 富士山頂から気象観測を恒久的に続けることは正確な気象予報に欠かせぬ命題となり、昭和に入ってからは「国立の気象観測所」が強く要望されることとなった。野中夫妻の無謀とも言える行動が広く知られていたから、国民の願望となっていったと思われる。

 昭和7年七月1日に国立気象観測所が開所し、野中到は中央気象台の勧めに従い、三女恭子を伴い、この年の八月に新築された富士山観測所に十日あまり滞在したという。すでに妻の千代子は1923年に他界していたが、娘の恭子は母親の千代子にもっともよく似ていたといわれる。この話は小説家・新田次郎が、『芙蓉の人』として詳しく記した。明治女性の気骨がひしひしと伝わってくる。

 

 この話にはつづきがある。昭和30年代に入り、日本は伊勢湾台風(1959)をはじめ、度重なる大型台風の上陸によって甚大な被害を受け続けていた。富士山山頂により精密な気象観測システムを設置すれば、レーター探知範囲が広がり、南方洋上から接近してくる台風を早期に発見できるようになる。標高3776メートルの富士山頂にレーダーを設置することは、気象関係者にとっての悲願となっていった。

 

 昭和38年(1963)6月、富士山頂への気象レーダー建設に着手したものの、工事は困難を極めた。(後述の「富士山レーダードーム館」で上映されるTV映画は感動もの)標高3776メートルという高地での大規模工事は世界にも例がなく、また乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大ドームのヘリによる空輸など、関係者の情熱と使命感が次々と起こる問題や困難を克服、富士山レーダーを完成へと導いた。

 

 もちろんこの偉大なプロジェクトの成功はチームワークによるが、その中心に気象庁企画課長として藤原寛人(ふじわら・ひろと)、つまり作家・新田次郎氏がいて、数々の難題へ的確な決断を指示し続けた。
 数々の名作を世に著した作家・新田次郎と、チームリーダー藤原寛人は同一人物だ。数学者でありながら『国家の品格』を世に問うた、藤原正彦氏は氏の御二男である。

 

 気象庁から強く慰留されたが、1966年「気象庁観測部測器課長」を最後として依願退職したが、役人が作品を書いていたのではなく、ロボット式無線雨量計を開発するなど技官としての立派な功績が高く評価されている。つまり技官と作家の二人分の人生を完成させた。

 

 昭和39年(1964)9月10日、ついに富士山レーダーは完成、翌年の昭和40年(1965)3月から本格的運用がはじまり「台風監視の砦(とりで)」として日本の空を休みなく見つめ続けた。台風をいち早く察知し、天気予報や災害防止にその威力を発揮した富士山レーダーは、気象観測技術の向上による気象衛星や新気象レーダーに任務を引継ぎ、35年間の活動を終え、平成11年(1999)観測業務の幕を閉じた。

 

 平成12年(2000)、富士山レーダーは「歴史に残る優れた電子技術」として、電気・電子技術に対する国際的学会IEEEから表彰を受けた。が発明した「八木アンテナ(指向性アンテナ)」に続く二例目の快挙だった。

 わが国気象観測の象徴とも言える富士山レーダーは、気象観測の重要性を知ってもらうための展示施設として、「道の駅・富士吉田」の一隅に「富士山レーダードーム館」として多くの来館者を集めている。 (火曜休館)

 

引用図書・資料:『芙蓉の人』新田次郎 文春文庫 、「富士山レーダードーム館」案内より。