(105)大名家の贈答品 | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。



(105)大名家の贈答品
 
九州の臼杵(うすき)藩は石高五万石、江戸屋敷の『臼杵藩稲葉家奥日記』があり、小藩だが大名の生活事情が汲み取れる。江戸下屋敷にグルメの隠居大名が生活、上屋敷には息子が現役大名として生活、江後迪子氏の著書を抜粋させていただき、武家の贈答品のうち食関係を中心に覗いてみます。
 
 江戸時代の日本は、さながら日本合衆国といった風で、どう治めるかは各藩にまかされた主権国家だった。江戸では外交が重要で、幕府からどんなお役目が回ってくるか戦々恐々、情報収集が大事、日頃から噂話でもいいから集める。すると、ちょっとした理由で贈答品が交わされたり、江戸留守居役は情報収集に苦労していた。

 

 まず季節の見舞いがある。暑中見舞いは魚介だと干鯛、うなぎ、しじみなど、鳥では国元でとれたものや、五位鷺(ごいさぎ)などを贈る。菓子では煎餅、葛まん、餅菓子、白玉、かる焼煎餅など、その他、すし、素麺、道明寺、甘酒、酒。果物では真桑瓜、桃、西瓜など、野菜では白瓜、里芋、茄子、きゅうりなど

 時代が下がってくると変化が見え、巻きずしなどが加わり、果物も種類が増え、砂糖や焼酎も登場する。砂糖は大名家でもまだ貴重品で、贈答に使われるのは、文政から天保にかけてで、白砂糖が多くなるのは天保からだ。
 

 寒中見舞いは、魚介では干鯛、寒鮒鮭、はららこ(魚卵)、牡蠣、など、鳥では鴨、たまご、野菜は銀杏、果物はみかん、ころ柿など、菓子は暑中見舞の品とほぼ同じ。その他、すし、海苔、昆布巻、甘酒などが贈答品として使われた。天保以降になると、魚介ではからすみ、むきみ、ハンペンといった加工食品が多くなり、鳥では、雉や雁など種類が増えた。

 
 たまごを見舞いにする風習は、日記では幕末から。南蛮文化からの影響で、まず、カステラやボウロ、卵そうめん、といった菓子から浸透し、享和、文化から天保にかけて、つまり江戸末期に消費量が多くなる。酒飲みは読んでいるうちに一杯やりたくなる。
 冬には今でいう鍋セット、「鍋焼き」の贈答記録が多い。「貝柱、豆腐、初茸、みつば、はんぺん、」「鴨、麩、みつば、はんぺん」「鴨、セリ」「車えび、玉子、椎茸、貝割菜」などのセットを鍋用として贈るもの。味噌やしょうゆ味の汁で食べる。


武家と鶴

 わが国では獣肉食を避ける風潮が強かったが、鳥類は良く食べている。日記に出た鳥を、多い順にあげると、雀などの小鳥、鳩、鶉、鷺、雉、鴨、雁、鴛、鷹、くいな、つぐみ、ひよどり、鶴などとなるが、「鶴の格」が最高とされた。江戸時代、大藩には、将軍家から下賜される特別な鳥で、鶴は一番目の吸い物に使われ、これが出る献立は、格式が高いとされた。

 鶴の料理儀式は、豊臣秀吉の頃からで一月十七日に天皇家に鶴を献上し、お座敷で料理してみせる。家臣の居並ぶ中、包丁人が定められた寸法のまな板、定められた切り方で料理する。これが武家にも伝わり、鶴は正月の最高の贈物として使われたようだ。
 

 稲葉家における鶴の出現は全部で43回大藩ではないから将軍家からの下賜はない。年末、年始の献上は10回ほどしかない。元治元年にも「鶴の包丁式」があり、「鶴の風習」が明治近くまであったことに「武家の鶴への想い」を感じる。鶴について多いのはが使われ。その次が雉(きじ)となる。このほか鳩、小鳥の多くは、狩のおすそ分けと思われる。


武家と鯛

 干鯛(ひだい・ほしだい)が贈答品の中でもっと多い。幕府への献上品、行事、お祝い事、儀礼、全国の大名から幕府へ献上と『大名武鑑』に記録がある。生鯛を加えると更に多い。江戸には専門の干鯛屋があったという。年始挨拶によく使われ、家督や着帯、安産、お七夜、幕末には干鯛はなく、元治元年(1864)は、干鯛料として金納となっている。
 干鯛は今も伊勢神宮の御料干鯛調製所で作られている。新鮮な鯛も贈られたが、鮮魚は大変だから干鯛になったのだろう。鮮鯛を運ぶときは生簀船(いけすぶね)が使われた。生干鯛、小鯛、塩鯛、甘鯛なども用いられている。興津鯛(おきつたい)はアマダイの塩干物。早くからの名物とされこれも多く使われたはずだ。


その他諸国名物は

 家吹草』によると越後子籠鮭(子籠包、しょろんぽう、何かは不明)、丹後鰤、土佐鰹節、越後塩鯖、越前鱈、松前の数の子小田原塩辛などがある。手に入らぬ場合は江戸で購入して贈った。江戸近郊の名物を書いた『江戸惣鹿子(えどそうがのこ)1689』には千住鮒、芝の海老→芝海老、明石のたこ、土浦の干しら魚、九州産は、薩州出水の海老、野母崎のからすみ、中津の赤貝、干あみ、ちなみにカラスミは長崎名物だが、臼杵にも多かった。
 

 うなぎ蒲焼は、天明七年(1787)江戸の飲食店案内書に「蒲焼屋が七軒」とある。うなぎの蒲焼は稲場家も大好きで、【大和田】から何回も取り寄せている。贈答品には、うなぎ切手、うなぎ手形が使われた。河豚は人気があったが、武士が食べる魚ではないとされ、稲場家でも日記には登場していない。



参考図書:『隠居大名の江戸暮らし 江後迪子』吉川弘文館刊