『逝きし世の面影』渡辺京二著の読後感から・・・・・・
(一部を抜粋しているため筆者の責任で編集しています。)
日本では日常のちょっとした道具にさえ「遊び心がいっぱい」と、明治初期の欧米人が書いています。生活用品の小さな見えない所に優れたデザインが隠れているし、道具にも面白味と美しさが溢れているとあります。「日本人は意外な楽しさが嬉しい人々」です。
さりげないチョッとした工夫が、この国ではあたり前で、「工夫があちこちに隠れているのです」。との意味を書いた、明治17年からたびたび来日した米人イライザ ・シッドモアは、滅びた文明の、最も大事な特徴を示唆しています。
1889年(明治22年)英国 大使の妻として来日したメアリ・フレイザーは、毎日馬車で街に出かけたくてしょうがなかったそうです。「この国の下層の人たちは、ほんとうに活き活きとして愉快です。いつもちょっとした事で、私の遊び心を楽しませてくれるのです」と書いています。人々の生活は「道路も、店も、背景も、最高の演出家による芝居のようで、本当に楽しいのです」と書き、街と人々に興奮しています。シッドモアも、街路の店と人の群れに、おなじ事を書いています。
モースの文章を代表としてご紹介します。「人力車の前を走り抜ける子供たち。複雑な髪を結い、決して帽子をかぶらぬ婦人。老女はアヒルのようにモタモタ歩き、若い女は足を引きずって歩く。往来や店先や、人力車の上でさえ子供に乳をやる女。ありとあらゆる種類の行商人。見世物。魚、玩具、菓子屋の売り子、キセル
掃除、靴直し、飾り箱を持った理髪人―みな違った売り声なのに、中には鳥の鳴き声みたいな売り声がある。笛を吹きながら歩く盲目の男女。一厘の謝礼で家の前で祈祷するハゲ頭の、鈴を持った男」。
以上のような記述が、1ページほど続きます。欧米人にとって異国の街とそこにあふれる異国の人々は、最初はどこも面白いはずです。モースはこれに触れ、「心を奪うのは人々の多様さと、生活の多様さだ」と分析しています。日本の街路は単なる通行の場所でなく、暮らしの場所でした。モースがボストン
やニューヨークで見た大衆は、整理され単純化され面白くはありませんでした。それに引き換え、日本の街には、異なる活気がみなぎっていたのです。だから外国人が楽しく感じたのでしょう。強引な例えですが東京の環状七号線道路と浅草の仲見世通りとの違いといえば分りやすいでしょうか。
モースは続けます。「この街で見かける按摩さんは、眼が全く見えないのだが、手にした杖を頼りに、小さな葦(あし)の笛でマッサージのサービスをすると知らせる。日本の盲目者たちの大きな収入源なのだ。家族のお荷物にならず、チャンと家族を養っており、本来の職業のほかに金貸しをやっていたりする。金貸しは幕府も按摩さんに認めていた仕事だった」と記し、盲目には音もなく近づく人力車が危ないのだが、人力車が細心の注意を払うから心配ない」と書いています。
女性旅行家イザ
ベラ・バード
は明治11年に訪れた新潟の商店街を、自著に「ザ・ショップス」と、わざわざ独立した章を設け、商店のみすぼらしさを指摘しながらも、多種多様な商品の精緻さに引き込まれていきます。「桶(おけ)と籠(かご)には職人仕事の完璧さがあります。桶屋の前を通ると、何か買いたくなるのです。ありふれた桶が、材料の選択の旨さと、細部仕上げの趣味のよさから、ひとつの芸術品になっているのです。籠(かご)細工は大きいのも小さいのも、精巧なものも、竹で編んだ見事な扇につけられたキリギリスやクモやカブトムシ・・・もう、ほんとうに上手く出来ていて、思わず本物の虫と思って払い落としたくなるのです」と驚嘆しています。
下駄屋、紙傘の店、日傘雨傘、雨合羽、ワラジ、漆器、仏具など、箸、提灯、行灯、薬、瀬戸物、酒屋、本屋、紙などと延々と続くため省略しますが、店が「羽織の紐(ひも)」だけを売って生計が成り立つのは、商品取引で養える人数が多いことを意味します。生活にそれほどの費用がかからなかった、あるいはかける必要がなかったためかも知れません。
またバード
は「どこの台所にも道具の美しさと使いやすさがあり、人々は清潔さと年季の入った古さに誇りを持っている」と書きます。「宿屋は美術品のごとき薬缶を備えている。鉄やブロンズでできた薬缶の年季が入った職人仕事の見事さは、云々と続け、これを作る職人たち、またこれを商品として選ぶ眼力の確かさに驚きます。
「いい加減な仕事をする英国の職人はここにきて、わずかの報酬でどれほど誠実、細心、愛情のこもった仕事するか見たほうがいいのです」とも書いています。日本では、日々の道具が芸術品となっていると気づきます。
「ふつうの家具がまるで宝石職人が仕上げたようで、畳は絹織物のように、桶や籠は象牙細工のようだ」と続けます。ヒューブナーは「この国ではヨーロッパ
のいかなる国よりも、芸術の享受・趣味が、下層階級まで行き渡っている。ヨーロッパ
人にとって、芸術は裕福な人の特権でしかない。日本では芸術は万人の所有物なのだ」と気づくのです。
ここからは筆者のモノローグとして読み飛ばして戴きたいのですが、ヨーロッパ
では、天才がキリスト教を中心に芸術を造り、一部の階級に貢献しますが、日本には天才は必要がないのです。芸術は美術館より日々の道具に現れてました。または、娯楽として人々を楽しませていました。
また個性をできるだけ殺し、技能を幼いうちから修行します。消そうとして消すことができなかった個所は真実の味として活かします。個性は技芸習得の邪魔となり、どうしても消すことが出来なかったものが個性と考えるからです。芸術に関する日本と欧米との違いです。
この傾向は現在にまで受け継がれ、当たり前の道具、自動車とか新幹線とか船舶とかも含め、実用品の中に芸術が入り込んでいるのです。日本ではロールス・ロイス
は造りませんが、代わりにてんとう虫と呼ばれたスバル360やカローラ
を造るのです。しかし楽しく安価で、新しい技術がつまっています。ルロイス(1532~97)は16世紀にさかのぼって「日本人はよい服を下に、よくないものを上に着る」と気づきました。女性は「下に着ているものが派手で鮮やか、上のものは地味な色なのです」と驚きを隠しません。目立つことは日本的ではないのです。歌舞伎や能楽など伝統芸能をも含め、例えば陶工なら「第15代柿右衛門」とか、責任の所在は明らかにしますが、個人が前に出ることは避けているのです。
家具や装飾品が何もない和室に驚いたモースですが、何もないことで、かえって張り詰める緊張感に気づきます。「そのような簡素な部屋にたった『花一輪』」が添えられるとき、周囲には驚嘆すべき調和と対比が生まれる」と千利休(せんのりきゅう)の境地に到ります。「かような絶対の清浄と洗練が、日本人が努力してやまぬ屋内装飾のエッセンスなのだ」と気づきショックを受けます。モースは後に装飾の世界にモダン・デザインをもたらした英国のウイリアム・モリス(1834~96)と同じ考えに到達していました。
その後は、ご承知のとおり、欧米でジャポニスムによる装飾などが隆盛を誇り、大変なブームとなり強い影響を与えます。宝飾品、工芸品、エミール・ガレやドーム・ナンシーらのガラス工芸、ラリックのガラス宝飾品、陶磁器、インテリア、家具、建築、衣装、舞台に至るまで、日本の職人芸が広範囲に影響をあたえました。
参考図書:『逝きし世の面影』渡辺京二 葦書房
