(14)日本混浴事情 | 江戸老人のブログ

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 日本混浴事情(181)


 日本は銭湯でも温泉でも、明治初期までは混浴だったと前に書きましたから、くどくどは書きませんが、「ホントかよ?」などと、親しい友からの疑惑のまなざしが集中したことがある。

 れっきとした事実ですから、詳しい本もあり、そっちへあたると納得できます。特に明治初期に来日した「おやとい外国人」たちの記述を見るとハッキリしますね。

 欧米人は混浴におどろいたんですが、日本側から見ると「なぜ裸が問題に?」とおなじく理解不能。だって「お辞儀は野蛮で、握手が近代的・文明なんだよ・・・」ナンテ突然に言われてもねえ。文化の違いだけでして、もっと詰めますと宗教のチガイが浮き上がってきます。

 

 日本は大雑把にいうと、神道と仏教が一緒になっており、神道は穢れ(けがれ)を嫌いまして「ミソギとハライ」で身を清めておく。毎日です。仏教のほうも、いい湯加減に浸りまして、「極楽!極楽!」とウットリするのが法悦そのもの、これも仏教の救いとされました。

 日本の神道も仏教も明治維新までは、どっから何処までが神道か?なんていっても無理、だから一緒に考えるんですが、①神道は清潔 ②仏教は極楽!極楽!感、が究極の姿でありました。

 現代にあてはめますと、ご家庭の風呂・シャワーなんてのが神道系の代表でしょうね。短時間で清潔を保ちます。所得とか季節、地方でも違うんですが、日本人はおおむね毎日入浴する。なぜ? と聞かれても困るでしょうがともかく入るから入る。家庭の風呂でのんびりはするでしょうが、どうも「極楽!極楽!」とはならない。ユニット・バス(日本人の宗教儀式場所とトイレを一緒にしたら嫌われるな)だと無理でしょうね。若い方など時間がないからシャワーだけ。それと朝シャンでしょうか、とにかくサッと清潔であります。

 その一方で、仏教系極楽系は、これは気分の問題で、シチュエーションというか状況設定が大切になります。やはり開放感が欲しい。すると温泉の原型に戻り広い浴槽がいいし、できれば「露天風呂」が望ましい。仲間も欲しいんですね。独りだけでというのもなんだかつまらない。異性もいたほうがいい。で、湯の中で「湯と自分の肌とが溶けあうような、一体となるような、陶然とした気分」が「極楽!極楽!」であります。大昔は温泉 に施設なんてありませんで、当然混浴です。すると混浴でもいいんじゃないか? 「すべて元に戻そう」なんて運動がおきつつあり、「女性から始まった混浴」が盛んになってきました。(八岩まどか『混浴宣言』から)

 

 で、欧米のほうですが、ヨーロッパ でいいますと、詳しい話は難しくてわかりませんが、どうもキリスト教だと「アダムとイヴ 」から、妙に「セックスと裸」が結びつき、歴史が長かったですから、もはやさび付いて、くっつきどうやっても「セックスと裸」が分離できません。なにしろ処女は「自分で自分の裸が見えてしまうから、暗闇で入浴せよ」なんて時代がありましたとか。「裸=セックス」でフリーズしており、混浴を見て、「むむ、セックス? 全員が?」と連想したんでしょうか、非常にわいせつな民族だと決めつけております。

 さすが冷静な方もいて、「いや日本人のほうが正しく自分たちのほうがおかしい」と見抜いた方もおり、それほど馬鹿ばかりではなかった。現代の欧米では形態は少々異なりますが、混浴はたくさんあるそうです。

 

 日本の政府ですが、「卑猥だ、野蛮だ」と外国から攻たてられ、ほとんど捕鯨問題と同じ、まず東京と京都の銭湯での混浴を禁止します。また、ふんどしひとつで「車を引く」なんてのもアウト。肌を見せると西欧人が「セックス・セックス」と騒ぎますからしょうがない。
 昔のことですから銭湯で男女に分けますと、その分、水と燃料が余分にかかる。商売にならない。イロイロありまして、銭湯だけでも明治40年過ぎまでは日本中で混浴、まして温泉 は治外法権で、戦後まもなくまでは地方の温泉のひなびたところは混浴です。いえ!なにを隠そう、現在も混浴であります。八岩まどか女史の『混浴宣言』の最後に日本の混浴一覧表があります。

 

 どうも八岩まどか氏の体験談を読みますと、実際に混浴してしまうと「性的な興味」というか「好奇心」というか、そういったものはスット消えちゃうみたいです。これは若い男性も同じで、極楽!極楽で無我の境地に。すると「我」がない。我がなければ「相手」もない。すると男も女もない。これが究極の悟りでしょうか

 ともあれ人間と人間になるそうです。入るまでは緊張したりするものの、いったん入ってしまうと「皆おなじじゃ、騒ぐでない!」となるそうな。

 いちばん嫌われるのは、混浴しているところに水着で入ろうとする者。「頭にくる」のだそうです。つまり自分の裸は隠す、ということは自分の存在は隠し、相手の裸はシッカリ見る。これは、「ノゾキと一緒じゃないか?」ということだそうで。何処か卑猥になり雰囲気が壊れるそうです。タオル巻いてはいるのもダメ、自ら裸になって初めて連帯 感が生まれる。やはり室外、すなわち大自然タイプの露天風呂ですと、スット混浴モードに入れるとか。「見てもいい、しかし見つめてはいけない」これが混浴の奥義だそうです。



引用図書 『入浴の解体新書』松平 誠著 小学館 1997

 『混浴宣言』 八岩まどか著 2001年 小学館