(198)ややこしいキツネ・タヌキ・てんぷら
大阪で「キツネ」というと、うどんに薄口醤油味を煮含ませた油揚げをのせた「キツネうどん」のこと。稲荷のお使いである、「キツネ」は油揚げが好きということから来たとか(ホントはネズミの油揚げが好物だけど代用品で済ました)。江戸時代の稲荷ずしという名はここからです。明治に入り大阪で油揚げを載せたうどんができると、「キツネ」という名になった。
「きつねウドン」の「ウドン」を「ソバ」にすると、大阪では「タヌキ」とよぶ。これが京都だと「タヌキ」といえば片栗粉でトロミをつけた「あんかけうどん」の上に刻んだ油揚げをのせたもの。「大阪でいうタヌキ」を注文するときは「キツネそば」といわないといけない。東京と名古屋だと「タヌキそば」といえば、「テンプラのあげ玉をのせたソバ」のことだ。
これを承知していないと、タヌキを注文したら別物が出てくるからご用心。京都文化と大阪文化が混ざる地域では、おなじ町のうどん屋でも、「大阪流タヌキと、京都風タヌキを出す店が混在する」ともいう。あるシンクタンクの調査によると、大阪府、奈良県でも、京都への通勤者数が30%を超すところでは「京都風タヌキ」が通用する地域となり、京都より東側では、滋賀県西部で「京都風タヌキ」が通用、滋賀県東部では、「あげ玉入りのウドンをタヌキ」というそうだ。
関西では、カマボコ屋で「天ぷら」を売っている。東京の「さつま揚げ」を大阪では「天ぷら」という。それでいて、「魚や野菜に衣をつけてあげたもの」も、最近は「天ぷら」というから話が面倒になる。
衣揚げの天ぷらは江戸で発達した料理だ。幕末の記録によると、京都、大阪で衣あげは一般的でなく、「魚のすり身をそのまま揚げたものを天ぷら」といい、衣あげは「つけ揚げ」と呼んで区別したという。そこへ「東京風の天ぷらが普及」するにつれ、「つけ揚げ」の名称が忘れられ、二種類の天ぷらが共存するようになった。
さつま揚げの本場、鹿児島県では、さつま揚げとはいわず、「つけ揚げ」と呼ぶから、これも話がややこしい。明治の初めに大挙して東京へ出てきた「薩摩っぽ」たちが好んだ料理なので、東京人が「さつま揚げ」と命名したらしい。
話のタネに「食の言葉遊び」を書きましたが、ご家庭で天ぷらを美味しく食べるコツを。筆者は食べたことがないのにウンチクを書き非難を浴びていますが、天ぷらだけウルサイのです、はい。
関西の天ぷら屋はサラダ油を使い、白っぽい衣に揚げ、天つゆでなく、塩をつけて食べさせるのが一般的。この関西風の天ぷらが東京でも主流となり、ゴマやカヤの油で赤褐色(美味いけどなぁ)に色づくまで揚げた、昔の天ぷらが懐かしいと、江戸っ子を嘆かせることになった。
江戸風の料理屋が関西風になったのは、関東大震災がきっかけである。焼け野原を見て東京の料理人は「これは駄目だ」と廃業した。その一方で、関西の料理人は「これはチャンス」と東京に進出した。
天ぷらは揚げ方もあるが、それより「揚げてすぐに食べる」と味がちがう。プロの天ぷら屋は、対面式で揚げたてを食わせる構造だ。「天ぷら鍋」から上げ軽く油を切り、天つゆで冷まして食べる。数分するとサクサク感が失われアウト。
つまり家族のだれかが犠牲にならぬと、家庭での旨い天ぷらは無理。筆者は若い頃、京都で塩で天ぷらを食べて食中毒となり、「天ぷらは天つゆ」でないと食べられない。40年以上前のことなのに、こういうトラウマは不思議と残る。天つゆが面倒なら、そばつゆをビン入りで売っているから、あれを薄めて使うといい。ポイントは「揚げたてを何秒で口に放り込むか」で決まる。お試しのほど。
引用図書:『上方食談』石毛直道著 小学館 2000年
