乳がんの生体病理検査です。
去年の夏にマンモグラフィーに現れた石灰化した細胞が良性か悪性か、調べるというもので、
局所麻酔をかけて棒を突っ込み;細胞を採取します。
検査より麻酔の方が正直怖かったんですが;
検査中にスピ的な気づきがありました。
(いや、妄想といえば
そうかも知れないのですが)
まず左胸。脇から麻酔をかけます。
「チクっとしますよ。ちょっと痛いです。」
なるほど、チクっといたいです。
奥の方にも少しづつ進行して行きます。
でも、進行に合わせて深呼吸していたので、痛みはそれほどでもなかったかな。
麻酔はあっという間に効きます。
やがて検査棒がグイグイ入ってくる感覚;
痛くはないけど、分かります。
と、検査中に急に前世らしいイメージを思い出しました。
(もうここんところ前世を視てばかりだからか、
ふとした拍子に繋がっちゃう;)
出てきたのは、胸を刺された女の人のイメージ。
江戸時代くらいだろうか。
乳飲み子を取り上げられて、揚句に胸を刺されて
苦しい苦しいと
痛みと悲しみに気が狂いそうになりながら息絶えた。
罪人扱いなのか?
刀じゃなく竹やりの様なものでズブズブと胸を刺される。
(うわ~、そりゃ苦しいわ。)
どっと感情が溢れてくる。
辛い辛い 苦しい苦しい
いや、これはたまらない;
感情が押し寄せて来て、こちらもしんどくなる。
何も、先生が検査棒を突き刺して検査している最中に思い出さなくてもよかろうに。
しまった、こんな状態で思い出すのなら、昨日のうちにクリアリングしておけば良かった~;
その女性と意識の中で向き合い、なだめすかそうとするが、もう感情が暴走しちゃってダメ。
(分かった、と言ったら嘘になるから言わない。でも。あなたの感情は受け止めたから)
子供を取り上げられて辛かったんだよね。
イメージの中でその子供と再会してもらったら、なんとか落ち着いて浄化された感じでした。
気が付くとえらく涙が出てしまっていた;
「すみませんが、ティッシュを下さい。」と看護師さんにお願いすると
「あらあら、切なくなっちゃったのね。」と勘違いされてしまった;
(どう説明してもおかしい人になっちゃうので、そういう事にしておこう;)
私は子供を産んでいないし、授乳もしていない。
彼女の悲しみを分かったと言えば、嘘になる。
(子供を産んでお乳を活躍させてあげられなくてごめんね。)
自分の乳房にも謝った。
どこかで子供を産まなかった自分を責めていたのかも知れない。
たくさんたくさん否定されて、石灰化しちゃったのかも知れないね。
一難去ってまた一難、お次は右です。ひぃ~;
こちらも、もう一つの気づきがありましたが、ちょっと公共の場ではばかられる内容なので;
伏せときます。
いや~でも検査で気づきを得るとはね。
でも出てきたイメージは必ず私の前世とは限りません。
もしかしたら病院内の他の患者さんのかもしれないし、
土地のエネルギーかもしれないし。
もともこもないけれど、ただの私の妄想かもしれません。
でも大事なのは、その場で出てきた情報に何を気づくかという事なので、
感情を解放したり自分の体の声に気づけばokなんですよね。
無事終了・・といいたいところだけど、右に刺す時に動脈を傷つけたとかで(ええ!?)
みると手術用の衣服に直径10センチの血だまりが・・・!クラクラ(@_@)
痛み止めをもらって帰る事になりました;うぇ~ん;
さてさて検査が終わって(検査料1万8千円・・とほほ;)
20分もしないうちに、麻酔が醒めてきましたよ。
左は何とも無いんだけど、動脈を痛めた右はズキズキと・・いだい(泣)
痛み止めの出番がなく、一晩持ちこたえるといいのですが・・。
私、持病があってもともと血が止まりにくいのですよ;
病院を出て、処方箋をもらって後は自転車20分の道のりを帰るだけだったのですが、
ここでナゼか血迷った~;
いつも通る道ではなく、もう一つ病院の先にある、まだ行ったことのない道から帰ってみようと選択。
ところがいつまで経っても見慣れた道にたどり着けない。あるはずのない大きな道路と交差して、
見知らぬ道を延々と自転車でこぐハメに;
それがやっと、とんでもない方角に来ていると気づくまでに15分はかかり、途中のバス停を確認したら「戸塚安行」駅行き。
我が家の近くの地下鉄は、「鳩ケ谷」駅か「新井宿」駅なんですが、その先の「戸塚安行」駅は
およそ普段は自転車で行かないところ。
そっちの方へ進んでいました。
と、そこへ、「川口」駅行きのバス停が反対側の道路を走って行く!
(地元じゃないと分からないネタですみません;)。
あのバスの後を追いかければ、自分のうちの近くのバス停までたどりつけるはず。
そう思ってあわててuターン。
いや・・自転車で追いつくの、ムリですって;
途中で見失ったものの、大体の見当はついたので、バス停の並んでいる道沿いにひたすら走ると。
途中にたこ焼き屋さんがありました。
6個で200円の看板に思わず自転車を止めました ^-^;)
それはアパートの横の駐車場に停めてあるワゴン車。
60歳くらいのおじさんが、車の外で息を白く吐きながら立っていました。
他に8個で240円と12個で340円というパックがありました。
安いけど、さすがに12個は多いので欲をかかずに8個入りのを買う事にしました。
「なんでこんなに安いんですか?」と聞くと
「大通りなら話は別だけど、ここじゃ~高くちゃ売れないからね~。
でも、安くたって、材料は同じだよ。ちゃんといいのを使っているよ!」
ニコニコしながらおじさんは言いました。
うん、確かにさっきおじさんが手にしていたのはショウワの小麦粉だった^-^)
この寒い中、1パック200円のたこ焼きはいくつ売れるのだろう。
風邪引かないでね、おじさん。
しばらく行くと頭上を高速が走る、見慣れた場所に出た~~!
(←これも実は勘違いだった事に後で気づくのですが;)
え~っと・・いつものルートを通れば多分5分で着くところに
・・30分かかってました・・。
(どうしてこんなに回り道をしちゃったんだろう;
素直にいつもの道を通って帰れば良かったのに)なんて思っていると、ふいに
ハイヤーセルフからのお言葉。
[迷いたかったからでしょう?] ええ~!?
[まだまだ修行好きなんだよね]
[自分が知らない事があるというのが、あなたは許せないから
遠回りでも味わないと気がすまないのでしょう?]
[だから、自分の知らない事が出てくると、「知らないといけない」と思ってしまう。
でも、この世の全部を知るのは到底無理なんですよ。
今あるものを十分に味わう事さえも限りある人生では限界があります。
全部知らない事に焦るのでなく、知っているものを十分味わうのが大事。
それでも遠回りしたいのなら、遠回りした事を後悔するのではなく
意味があるものと受け止め、そこで得たものを大切にしなさい。]
あ~うん、確かに今日発見した、おじさんのたこ焼きはおいしかったし、
途中であった神社や変わったお店を眺めながらの迷子は楽しかった。
そうだね~、私は迷いたくて迷っているんだねぇ。
そしてまたひたすら自転車をこいで行くと、「新井宿」駅のそばに到着。
なんと。
いつのまにか、国道を通り越して、反対方向に来ていたのでした。
途中に見かけた大きな道は、この国道だった事がここで判明・・。
自分の方向音痴にあきれ返る。
でもここまでくれば、家まであともう一息。
その先の、一度通り過ぎた国道との交差点まで来てふと思いました。
(ドン○が・・近い;)
昨日の母とのやり取りを、ふいに思い出しました。
「一階の猫の分のカリカリ(固い方の)ゴハンがないからドン○で買ってきて欲しい。」とのオーダー。
でも、明日は病院で検査だし、ドン○は病院とは反対方向だし。
検査の後、ドン○まで遠回りする気力がないから、また後日にして欲しいと断ったのでした。
缶詰もたくさん残っているし、私のストックしていた二階の猫の分を、
今朝方母におすそ分けして、しばらくそれで持たせて下さい、と頼んだところ。
・・・で、結局、迷子になってドン○の近くに来ちゃったって・・・;
せっかくだからドン○に寄って、猫のゴハンを買って帰りましたとさ。
本日一番の収穫は猫のカリカリ? それともたこ焼き?
ところで、タイトルは「犬も歩けば・・」にひっかけたつもりでしたが・・
「読んでみたら、歩いてないじゃん、自転車で走ってたんじゃん!?」って
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