お前は○○家の恥だ。

お前のせいでみんな迷惑だ。

数えあげればきりのない暴言の数々を父は私に与えました。

おぞましすぎるのでそのままは書けませんが、
私が性犯罪被害者になる様子を詳しく説明し、脅し続ける。

こういった暴言を吐きながら、
泣き叫ぶ小さい女の子を気がすむまで殴り続けるのです。


知らないとは言え
『許してあげなさい』
など私に言った方は、
自分が私と同じ経験をしたら
そうできるということなのでしょうか。
だとしたら立派な人だと思います。


しかし、経験した人ならわかると思いますが
こういったことはもう
『許す』『許さない』
の次元の話ではないのですよね。

なんというか…

もっと、過酷ですね。


とは言っても、
私は何故か『虐待』という言葉を使いたくありません。

プライドなのでしょうか?

自分は虐待を受けていた、

などとは言いたくないのです。

何か、救いが無くなってしまう気がして…。

『虐待』という言葉の前には、
加害者と被害者という立場が圧倒的であり、
画一的な見方しかない気がして………。


というのも、私は

私の父も母も被害者であると考えているからです。


加害者は、戦争です。


私の両親はともに戦中生まれで、
両親とも父親のいない
とても過酷な家庭で育ちました。

なので両親とも、

『父親像』

が経験として無かったのではないかと思います。

そして両親ともアダルトチルドレンになり、

アダルトチルドレン同士が出会い結婚したということなのでしょう。


そして父は、
自分が感じて経験してきたもののなかで精一杯、

まるで軍隊のように
兵士を育てるように
暴力と罵詈雑言で
子供に接してしまったのかもしれません。


アダルトチルドレンは世代間連鎖すると言います。

私のように暴力は受けていないものの
アダルトチルドレンの両親に育てられ、
私を足蹴にしていた兄たちもまた
アダルトチルドレンだったのでしょう。


しかし、

『アダルトチルドレンの連鎖は断ち切ることが出来る』

とカウンセラーさんは言ってくれました。

『救われたい』

と求めた、
この私の時点でくいとめることができると…。


これ以上不幸な子供を出さないためにも、

私はがんばりたいです。


きっと、やってみせます!

(*^-^)/.+゚