この3週間

小康状態であった義母

頑張ってきました。


5月上旬からは

水分摂取ができず

1日点滴500ml程度+医療用麻薬を

皮下注射していました。


5/17

義父の誕生日です。

午前8時45分頃

私の携帯に

市立病院病棟看護師から連絡あり

『血圧が60を切ったので、

家族で来れる人がいるなら来てください』と。


夫に連絡したけど応答なし。

義母の妹に連絡して

義父と義母の妹が

直ぐに

病院に向かう事になりました。

私は

息子を小学校に迎えに行くか悩み

病院側に

小学生は大丈夫なのか?と確認したところ

NGとの返答で

私だけ病院に向かうため

仕事の調整をしていると

夫から折り返しの連絡あり

夫は病院まで1時間以上掛かる場所で

仕事をしていると言うので

とりあえず病院に向かって

と夫に伝えました。


午前9時ちょっと過ぎに

私が病院に到着すると

義父と義母の妹が既に病室にいた。

義母は酸素マスク装着しており

酸素が8リットル流されて

呼吸が荒く

時折

下顎呼吸

手の指や足底がチアノーゼ

目は見開いたままでした。


午前10時30分

夫が病室に到着

義父は

精神的、肉体的に参っているようなので

義母の妹が市立病院から

車で2分の自宅に送って行きました。


午前11時30分

荒かった呼吸状態が落ちつき

夫は一度

会社に戻ると言って

病院を後にした。

その頃

義母は身体の筋肉が弛緩しており

身体の中に溜まっていた物を出し始めました。


午後1時30分

看護師が定時のバイタル測定で来室

血圧が90/30台

脈拍90台

呼吸数は30台

体温37℃前半

酸素飽和度は測定不可


午後3時20分前に

義母の近くに座っていた

義母の妹が

『呼吸が悪いから』と

看護師を呼びに行っている間

私は義母の近くで

呼吸状態を確認していると

義母の呼吸は

ゆっくりとなり

呼吸の間隔が長くなっていました。

義母が息を吸ったけど

息を吐かなくなったかな?と思った時に

義母の妹と

看護師が病室にきて

「ベッドから離れて」と

看護師に促され

看護師はバイタル確認


呼吸が停止

心音と脈拍が感知されなかった。

これから医師を呼ぶが

直ぐには来れないから

病院に来れる家族を呼んでくださいと

言われました。

義母の妹は

自宅で待機している義父を迎えに行き

私は夫に連絡しました。


夫は病院に30〜40分後ぐらい

到着できるとの事。

義父が病室に到着後

死亡確認は夫達に任せ

私は学校が終って

習い事に行った息子を迎えに行きました。


習い事の場所に私が行くと

息子は

「なんで早いの?」

いつもより1時間早い迎えに

不思議に思った様子の息子に

「ばぁちゃんが亡くなったんだ」

と伝えると

息子は下を向き

涙ぐむ表情でした。

義父母宅に向かっている間

息子はあまり言葉を発さず

ルームミラー越しに見た

息子は涙を堪え

顔を上に向けていました。


約4年前

孫が小学生になった年の6月

盲腸癌

リンパ節転移

肺転移

ステージⅣ診断

手術後から抗がん剤治療

昨年12月に骨転移が分かってから

今年1月下旬には大腿骨頚部骨折で入院&手術

3月中旬頃から歩行困難

4月上旬から放射線緩和照射で入院


排泄や移動などの

介護が必要になったのは

12月下旬からでしたので

この4ヶ月は

義母も家族に負担を掛けていると

気にしながら過ごしていたと思います。


自宅で最期まで過ごしたい

と思っていた義母でしたが…


放射線照射で入院した

総合病院

消化器内科病棟と緩和ケア病棟

市立病院外科病棟の

献身的なケアにより

痛みを感じず

穏やかな最期を迎えることができたと思います。

ありがとうございました。