年末だ、年始だ、おめでたい、とはしゃぎまくっていたら、いつの間にか2013年も1ヶ月が経ってしまいました

いまさらですが、皆さま今年もよろしくお願いいたします


で、年末年始にパソコン内のファイルをいろいろ整理していたら、書いたきりなぜか忘れ去られていたテキストがあったので、せっかくなのでこの機会に掲載させていただきます


で、このテキストは、当研究所の筆頭研究員=クラゴンが書いた、非常に秀逸な「ドライビング・プレジャー論」=「クラゴン部屋的ドライビング・プレジャー論」http://kuragon.net/2011-01-19-driving-pleasure.html )のアンサーコラムとして書いたもののようです

データによると、ワタシがこのコラムを書いたのは、2011年の4月とのことなので、ライティングの経緯はかなりあやふやですが、中身の鮮度は失われてはいないので、ご高覧に供する次第であります


上記の「クラゴン部屋的ドライビング・プレジャー論」と合わせてお目通しいただき、各位のクルマ選び、カーライフの参考にしていただければ幸いです


◆以下が、そのアンサーコラムです◆



クラゴンの「クラゴン部屋的ドライビング・プレジャー論」、楽しく拝見させていただきました。

じつのところ、ドライビング・プレジャーというのは、自動車雑誌などでもおなじみのフレーズなんだけど、ドライビング・プレジャーの良し悪しが何に依存し、何で決まるのかについて語れる人はきわめて稀で、傾聴に値する人は日本で5人もいないのです!?

そうしたなかで、クラゴンがクルマのポテンシャルとドライバーの実現性能の関係に着目したのは、正鵠を射た発言でじつに面白い!

ワタシも素直に「そのとおり!」と手を打ってしまったぐらいです。

で、思いっきり同意してしまったので、ワタシも一言能書きを垂れさせてください(笑)。

ドライビング・プレジャーについて語りだすと、すぐに「人車一体」っていうお決まりのフレーズが出てくるんだけど、ワタシが思うに「人車一体」=意のままに操れる=ドライビング・プレジャー度が高いというのとは、ちょっと違う気がします。

クルマに限らず、人と道具の関係は、どこまでいっても人間側がその道具の“事情”を尊重し、クルマやタイヤがどう動きたがっているか、に耳を傾け従うしかない。

だって道具とケンカしても人間には勝ち目がないのだから。ここが肝心! このわかりきった法則を無視して「曲がれ」「止まれ」「走れ」と命令形のドライビングを繰り返すと、やがて手痛いしっぺ返しを食らうことは、皆さんも経験上骨身に染みてわかっているのではないでしょうか? (それでもまったく懲りない輩が多いのが現実ですが……)

というわけで、人とクルマの主従関係は、どこまでいってもクルマが“主”で、ドライバーが“従”(運動科学の専門用語で、「他者中心運動構造」というやつです)。

そうした視点で考えると、


ドライビング・プレジャー度の高いクルマというのは、クルマの“事情”に自分を合わせることが苦にならないクルマ、もっといえば、クルマの“事情”を尊重していることが気にならない(気がつかない)クルマということになってくる。


そのことをクラゴンは「人間とクルマの親和性の高さ」と表現したと思うんだけど、その親和性は、母と幼子の関係のようであってもダメなんだな。

つまり、ドライバー(幼子)がどんなわがままを言っても受け入れてくれるクルマ(母親)では楽しくないわけ。

クラゴンはそれを「クルマの性能」「実現性能」「実現不能領域」という三つの要素で表現してくれたんだけど、まさにクラゴンのいうとおり、人とクルマの関係は、95:100ぐらいが黄金比なんでしょう。

そのぐらいの比率だと、クルマが“主”だとわかっていながらも、どこかでクルマに従っている自分が“主”なのでは、と「美しい誤解」に浸ることができて、とってもハッピーな気持ちになれる。

でも……。

馬術の世界では、その極意を「鞍上に人なし・鞍下に馬なし」と表現するのだが、クルマとドライバー、どちらが“主”? なんて意識しているうちは、まだまだ修行が足りないってことなんだろうね。

一般論でいえば、クルマに従うのが心地いいクルマほど、ドライビング・プレジャーの高いクルマといえるが、最終的にはどんなダメグルマ、どんなダメタイヤを履いても、その道具の性能を引き出したという実感(多くの場合、美しい誤解)があれば、快感なんだと思うけど……。

だって、タイヤとクルマの性能を全部引き出したいという願望があるのに、「オレはこのクルマのポテンシャルの半分も引き出せていねぇ~」という自覚があったら、走る喜びなんて味わえないでしょう(凹むだけ)。

だから、このタイヤ、このクルマの性能を余すところなく、引き出している、と思えるようなパートナーになれないと、ドライビング・プレジャーは薄まってしまう……。

(客観的にはともかく、少なくとも主観的には)

というわけで、ハイパフォーマンス車に乗っている人ほど、そうした境地になれるまで、精進あるのみということです。ハイ。


(2011年4月27日)