こんばんはニコニコ


毎日訪問看護師さんに来てもらっています。

便がわりと出るようになったので

今日は浣腸や摘便はせず。

真面目にモニラックとモビコールを飲んでいるからかな。

後はほとんど寝たきりです。

1日に2回ほど激痛が襲うのでえーん

オキノームで対応。

早めに対応したいのですが、、

なかなかうまくいきません悲しい悲しい

激痛が来たら、1時間は痛い痛い…とエンドレス。


今日は、3年前に亡くなったお義母さんの話。

不快な方はスルーしてください。


当時はわからなかったお義母さんの気持ちが

私自身も癌に罹患したことで

痛いほどわかるから。

少し書かせていただきますお願い



お義母さんが癌になったのは、亡くなる四年半前でした。


発覚時は乳がん、転移なしだったよう。

ステージは不明でしたが、手術ができたそうです。

その頃はまだ主人と再婚していなく

お付き合いしている状態。

大変なんだなぁ…と思ったのを覚えています。


その後再発がないまま、私たちは再婚し

お義母さんも割と元気で

しばらくは、平和な日々が続いていました。


しかし、2019年3月に乳がん再発。

手術してから三年経っていた頃の事です。

肝臓にも転移あり

の診断。

 

乳がんを専門とする病院から

自宅から近くの総合病院へ転院しました。

再発後、抗がん剤を開始。

乳がんの抗がん剤でした。


2020年7月頃に病状が悪化。

おそらくこの頃はもう抗がん剤が効いてなく

緩和ケアのみの状態だったと思います。

といっても、共働きの私たちを助けようと

週に一回は夜ご飯を作ってくださったり、お友達とお茶を飲みに行ったり、元気に動いてました。


そんなある日、家に私を呼んで簡単な形見わけをしてくださいました。

その時にお義母さんが言った言葉

『自分がもうすぐ死ぬなんて考えられへんねん』

て言っていました。


正直、えっ?!

と思ったのを覚えています。

そんなに悪いのか…?と。

その言葉の意味、重み…

今だから痛いほど分かります悲しい悲しい

 

正直、日々の事は、お義父さんに任せていて

私たちは、同居していなかったこともあり

そしてコロナもあり

お義母さんには極力会わないように、としていました。


この頃世間はコロナコロナで家から出ない、人と会わないを皆守っていた時期だったと思います。


そして、久しぶりに義実家へ寄ると

お義母さん、自分でお箸も持てないほど…

主人もびっくりしていました。


ご飯も食べさせてあげないと食べれなく

今思えば痛み止めの医療用麻薬でフラフラだったんだと思います。

恥ずかしながら私たち夫婦はお義父さんに任せっきりで…

もっとお義母さんにもお義父さんにも

してあげれることがあったはずショボーン


そこから、急速に悪化していきました。

仕事休んでお義母さんの病院に一緒に行ったりもしました。

お義父さんも一緒に。


院内のドトールでサンドウィッチとコーヒーをご馳走になり、2人とも私がついてきてくれたことが余程嬉しかったようで、色々な昔話を聞きました。


そして、その後あっという間に抗がん剤ができないくらい、病状は悪化。

既に腹水が溜まってたようですが

抜いて欲しいとも言わずに耐えていたようです。


その頃やっと私たちは、真剣に調べるようになり、腹水を抜いて、栄養分だけ戻す方法があるらしい。

とネットで見つけ、次回の診察の時に主治医へ伝えました。

主治医はオーケーしてくださり、すぐに入院。


しかし、入院した時は更に病状が悪化しており

『今の状態では腹水は抜けない』

と言われました。

今なら意味はわかりますが

当時は

そんな事ってあるの?!

と言った感じでなんか騙されたように感じてしまいました。

もっとアメブロを読んだり

情報収集をしてればよかった…


そして、腹水を抜けなかったから

すぐに退院できると思ったのに…

なかなか退院できなく、更に病状は悪化。

入院して数日後に病院から

危篤…の電話も。

家族集まりましたが

でもなんとか持ち堪えてくれましたえーん


その時点で私は会社に数日休むことを伝えて、毎日病院へ行きました。


医療用麻薬で、フラフラ、身の置き場がないくらい痛がっており、ベッドの柵を乗り越えようとしたり、オムツも脱いでしまったり…


病院へ行くと、ベッドもない部屋で

床に布団を敷かれ、四つん這いで唸っているお義母さん…

今でもあの光景は忘れることができなく。

可哀想すぎる…

ナースステーションから見える部屋だったとはいえ、おむつは便でぐちゃぐちゃ。

(看護師さんはちゃんと対応してくれていて、たまたまだったと思うのですが)

いくらなんでも、酷すぎる…ショボーンショボーン

と思いました。


面会も1人ずつだし、孫たちがたくさん来ても、部屋に入れるのはお義父さんか、私、主人、お義兄さん、お義姉さんでした。

 

そして、このまま病院にいても…

て事で、家へ連れて帰る事にしました。


と同時に、何も決めていなかった在宅看護の段取り。

本当に何もしていなかったので、1からで大変えーん

ですが、なんとか家で受け入れる体制を整えて自宅に連れて帰りました。




コロナコロナで、お義母さんにコロナをうつしてしまうんじゃないかと、そればかり気にしていました。

でももうそんな事言ってられない。

家族で看取りの準備を始めました。

結局家に戻って3日で亡くなりました。

正直その3日は契約や、酸素を設置したり、ポータブルトイレを設置したり…

一日中バタバタしていました。

本当ならね、もっと早く準備しておけば

あんなにバタバタすることはなかった。

その間、徐々に意識が低下していき、血圧が測れなくなり…

家族みんなの呼びかけの中、亡くなっていきました。



正直書くか迷いましたが、書けてよかった。

最期まで家族に辛いと言わず、孫や息子たちのことを心配しながら亡くなりました。


私ももうすぐそんな時期が来るのだと思います。

怖いけど…

お義母さんのように、家族に見守られながら…

が良いなおねがい


こうやって、落ち着いて、今後のことが考えれるのも、お義母さんの事があったからなのですショボーン


その時のために色々と準備はしています。


でも、、


まだ希望はあるキラキラ


を忘れずに。


それさえ無くしてしまったら…

せっかく頑張って治療してきたのに…ね。


闘病中の皆さん、私も頑張ります。

一緒に頑張りましょうウインクウインク


長々と読んで頂きありがとうございましたお願いお願い