【3度目のいってらっしゃい】

夫がシンガポールに発った✈️

朝送りながら
「別々に暮らすの13年ぶりだわね〜。うちの会社だとそんな人珍しいのよ」
とこどもらに言っていた。(入社して3年くらいから点々と駐在が始まるのがフツー。そしてこどもが大きくなったり、安全等の理由で単身赴任もフツー)

結婚生活の始まりは別居だった。
10月に式を控えていて、5月頃だったか。
会社からの帰り道の夜、電話が鳴った。

「7月から諏訪」

「え、諏訪てどこ?上州?」

という第一声を覚えている。

夫はなんとなく涙声だったし、我々は諏訪が長野県であることも知らなかった。
(このご縁から今は諏訪が心の故郷になっております。長野大好き)

新宿からあずさ◯号で夫が諏訪へ向かう日、私は母と式場の候補としての下見に、恵比寿のロブションを訪れていた(本当は夫と行く予定のイベントだった)。

ランチイベントが終わって、新宿へ駆けつけ、一言二言交わし、走りゆくあずさをホームの最後まで手を振って走って追った。(24歳で若かったので走れる)

これが1度目のいってらっしゃい👋🏻

1年ちょっとたって、長女が生まれるということで、一緒に暮らすため(と、やりたい仕事をするため)、夫は転職して帰ってきた。
新婚生活がやっと始まった。

と、思ったら私が育休明ける前に夫はまた単身赴任になってしまった🤣

当時もうすぐ2歳になる長女バナーヌはめちゃくちゃパパっ子で、とにかくいないと泣くので(そうなるよう仕向けて育てたところもある。私がいなくて平気なように)、最後どう送ったか全く記憶にない。ひっそり出てった⁇

夫が9月に引越し、12月に私は育休が明ける予定で、最後のお楽しみとして1ヶ月間、私は夫のとこで休みを満喫するつもりだったし、何よりそれが京都なのでめっちゃ楽しみで、また2年に渡る育休が明ける、しかし保育園入れてない(待機児童日本一の横浜でーす)ということでさみしいとかいうより「よっしゃ加点や、ビバ単身赴任😆」みたいな感じだった。

これが2度目のいってらっしゃい👋🏻

その後ワンオペで1年職場復帰して、よれこはまた産休に入る。夫はまた転職して帰ってきた。

以来3度目の正直、13年一緒に住んでたわけである。
その間にコロナのロックダウンがあったため、5人家族、みっちり3ヶ月一緒だった(最初の1ヶ月夫は出勤していた)。今思えば、5人べったりの最後の機会をもらったのである。この後から急速に長女は家族と一緒には出かけなくなり、1人居残りが増え、今年7年生になってから息子も急激に友達との時間を優先するようになった。

そして今、3度目のいってらっさい、である。

今日3人の子は当然学校があり、当初私は1人で送迎BBAのつもりであった。
バナーヌは学校に行き、下2人を送ってそのまま空港へ行く。
どうせ春休みにはまた5人集合するし、夏になれば私とアニーは合流する。
まあ、しばしのさいなら、である。

ところがー
昨日女子2人は空港まで送っていくと😳
ニルソンはこの7年皆勤なので😆記録を断ちたくないらしく登校すると。
(水疱瘡とコロナの出席停止はあります😅)

というわけで、夫は朝最寄り駅までニルソンを送り、しばらく(1ヶ月)の別れを惜しんだらしい。夫帰り道で泣いたらしい。

そしてバナーヌは
「明日発表があるから、休むわけじゃないのよ。遅刻してくわ😀」
と、夫が飛び立つより早く羽田空港を出ていった。

3年前、フルートのレッスンに初めて1人で行ったとき
「ママ、今改札なんだけど、ここからどうやって行くの😀」

と電話をかけてきた人とは思えない成長だ🥲

毎朝ボディガードとして娘と一緒に通勤してきた夫。帰りもなるべく時間を合わせて帰ってきた。高校生になっていることをつい忘れ、いつまでも小1のアニーと同じ対応をしてうざがられている時もある。
バナーヌが改札に消えていき、夫はまた涙ぐんでいた。

1番の懸念点だったのが、パパっ子のアニーである。最初に夫のシンガポール行きを聞いた時は泣いた。しかしその後は全然平気で。意味がわかってないのか⁇と心配していた。

が、泣かずにすんだ。最後の最後、飛行機が見えなくなるまで見送り、羽田空港でおでんを食べて、ご機嫌で帰ってきた。帰りの車はすぐに寝てしまった。

ので、これを打っている。

諏訪時代は毎週金曜に車で帰ってきてた。0時過ぎると高速代が安くなるので、PAで時間を少し潰し、その後帰ってくる。こちらに家がないので、よれこの実家に夜中に着く。日曜夜にまた帰る。
毎週結婚式の準備を少しずつ進めてた。結婚届は私1人で役所に出しに行った。新婚旅行後は品川で蕎麦を食べてばいばいして、バラバラの家に向かった。

京都時代、ほぼ毎週帰ってきて、月曜の朝始発で京都へ戻っていた。月1回の交通費しか出ないから交通費に消え、まだ若くて安月給だった我々は密やかに暮らしていた。
夫は当時社宅の無駄に広い2DKで、クーラーもなく、テーブルは段ボールで🤣、テレビもパソコンもなく、私とのやりとりは無料の100文字ショートメール。時代はSkypeだったが(LINEはありません。てかスマホありません)、シュタイナーでデバイス断ちしていた我々は、バナーヌの前で使うこともなく、夫は図書館で借りた本を読み、私と長女の写真を見ながらご飯を食べていたらしい。
結婚した年の年賀状を刷りすぎて余ってたので、それを使って私は手紙を書いていた。

電報と文通と何もない昭和時代から13年で、一気に21世紀のシンガポーーーである。

昨日夫はセコムと打ち合わせをすませ、防犯カメラを設置し、遮光カーテンなども取り付け、もうなんだか出来る限りのことを全部して、スーツケース3つで飛び立っていった。




よし、スタンプラリーにはんこ1つ。
次は今年度1番の私の山場である。