の続きです。

焼けましたニコニコ

脚をしばると見映えはよいですが、火の通りが偏りますので、腿肉の内側、重なる所に火が入りにくい我が家はおっ広げ派です

ぼんじりから脂がよく滴りますから、下には野菜をどっさり置いて、野菜にその旨味を染み込ませましょう。定番のじゃがいも、にんじん、玉ねぎはもちろん大根や芽キャベツ、さつまいも、カリフラワーの茎(花部分はカラカラになりすぎます)も美味しいニコニコ

ハーブ類は手羽先や腿肉には片方はローズマリー、もう一方はタイム、などとミックスしないで色々なハーブを1種類ずつ固めて置くと、好きな味を楽しめますニコニコ


焼けたらまずスプーンでお腹の中身を取り出します。カチカチの昨日焼いたパンも美味しい肉汁がしみしみ〜お願い

手袋をすると、手がベトベトにならずすぐ次の作業に移れます。

中身を取り出したら手羽を落とします



お次は腿肉を

関節でそれぞれ切っていったら、胸肉は骨に沿って削ぎ切りしてサーブしましょう。

サイドディッシュは毎年その時の気分で…

左上から時計回りに
  • チーズ盛り合わせ
  • ワカモレ
  • 色々野菜ピクルス
  • 赤玉ねぎとプルーンとリンゴのバター煮
  • フムス
これらは前日パーティーの残りニヒヒ
もうタッパーごと出しちゃうニヒヒ



本日作ったサイドメニューは

  • オニオングラタンスープ
  • カリフラワーとじゃがいものマッシュ

だけですニヒヒ
受験生バナーヌが息抜きに作った


サイドディッシュがなくても、周りに置いて焼いたお野菜とお肉だけでも充分立派なクリスマスディナーになると思います。

6年男子ニルソンは一皿目からモリモリです



心ゆくまで何度もおかわりしたら


骨はスープストックをとりましょう。

不織布やさらしに包むと後片付けが楽ですが、骨をそのままに煮ると、取りきれなかった骨まわりの身も取れるようになります。最後まで無駄なく。


アラフォーのよれこが子供時代から、「鯵は干物の形で泳いでると思ってるこどもたちがいるびっくりガーン」と命の食材化の問題は言われてきました。

私も家族も鶏を絞めるところからはしたことがなく、海外のマーケットの肉屋さんも直視できない人々です。

ですから偉そうなことは言えませんが、クリスマスは丸鶏が手に入りやすいこともあって、わりと毎年チキン丸焼きをして、こどもたちも一緒に調理するようにして、もう一度「毎日私たちは命をいただいているんだよ」、を理屈でなく触れてもらおうと思ってきました。

最近アニーが
「鳥肌って何ニコ?」

と言うので「クリスマスに教えてあげよう爆笑
と生の状態を見せました。

やはり
「怖いガーン

と言いましたが、ニルソンが

「でもアニーがいつも食べてるお肉は元はこうなんだよ」

と、言ってくれて、ニルソンには伝わってるんだなーと思いました。
この人は釣った魚も捌いたりしてるので日々命をいただいてることはわかってるとは思ってましたが…

そして
「なんで鶏さんはこういう肌なのキョロキョロ
と直視することもできました。

今はこれくらいで、細かい部位は説明までしなくていいかな。毎年これくらいをどの子も積み上げてきています。
おうちの食育ってこれくらい普段の流れの中でよいと思うのです。ただでさえ今は情報過多なので、小さい頃はあまり説明をせずただ体験を積み上げていくだけでいいと思います。小さい頃の種まきは、大きくなって机の上の勉強に結びつく時が必ず来ます。その時のハッとする感動が、学びの楽しさじゃないかなぁと思います。

バナーヌに
「ママ、最初から怖くなかったのキョロキョロ?」
と聞かれ

「いや、実はさ、初めて丸焼きやったのは君がお腹にいる時でね、お腹を下にしてうずくまってる鶏さんの姿がなんかお腹の中の君に見えてねニヤニヤこんな人がお腹に入ってるんだなーニコと思いながら、よしよしと油や塩を塗り込んでたよニヤニヤ

「…へぇ〜ニコ

変な母だと思ったようだニヒヒ
だって2キロくらいの鶏さんと1月生まれのバナーヌはこのクリスマス時期ちょうど同じな感じがしたんだもの。

この丸焼きは特によれこ家や夫実家の伝統なわけでもなく、よれこが始めたことです。
よれこはレゴサンタが欲しくて、近所のモスにモスチキンを予約した年もあったよ。未だにそのレゴサンタは実家にある

でも原点はこどもの頃通ってた近所の個人の英語塾の先生がイギリス帰りの人で、クリスマスには子ども数人を招待してターキーを焼いてくれていたのに感動したことかな。

普段のレッスンでは入らないダイニングに、きっちりテーブルセッティングしてくれて、ターキーがオーブンから出てきた光景を今でも覚えている。
平成初期のこども時代、外国はまだまだ遠く憧れの異文化だった。

毎年チキンを焼くたびに、その先生がよれこに撒いてくれた好奇心の種にも感謝するのです。