こんばんは☺︎

脳室拡大の所見がある息子の記録ですが、
もし同じ境遇の人が見てくれているなら少しでも参考になるように、、と書き始めました✍️



脳室拡大、水頭症(ではなかったのですが)と宣告されて、、

 産んでいいのかな?

わたしにこんな子の親が務まるのかな?

普通の人生送れないんだな、、  


って思ってたけど


産んだあとはそんなこと1ミリも思ったことないです照れ


わたしも妊娠中たくさんのブログを見て、みなさんそう言っていて信じてなかったけど


やはり自分の子はもうなんでも可愛いし愛おしいなってラブ恋の矢


障害児である前に自分の子供なんだからって思います♫




妊娠中の話の続きです。


大学病院にてMRIを撮ったあとまた切迫早産で里帰り先の病院に入院になったところからですね!


もう入院生活は慣れてたので苦ではなかったです。

脳室拡大が発覚してからはずっと個室にしてもらってたので部屋にトイレもついてたしどちらかというと快適だったかも😂

廊下から赤ちゃんの泣き声が聞こえると、

あぁ可愛いなぁ💕一生懸命泣いてるほっこり

ってほっこりしました。


うちの子はもしかしたら泣くこともできないかもしれないんだから、、って思うと

夜泣きが大変だとか、

夜寝てくれなくて寝不足だとか、

世の中のママさんたちの愚痴や悩みがすごい贅沢に見えてこの時期はSNSで他人の育児の話を見るのがつらくてSNSは見ないようにしていました。。


寝不足がつらいとか分かってて産んだくせに!とか、

五体満足で生まれてきただけ幸せと思いなよ!とか

心の中には真っ黒な感情がありましたしょんぼり汗

やっぱりどこかで受け入れきれてなかったのかも。


ちなみに産んだあと思ったのは寝不足はつらいもんはつらい。笑

経験しないとその立場のつらさや悩みは分からないんだなと反省。



MRI結果は1週間後でした。

切迫入院中で大学病院まで行けなかったので夫に行ってもらいました。

ドキドキしながら連絡を待ちました。


夕方 電話が来てうろ覚えですが

「発育は遅いかもしれないけど、今すぐ手術や治療が必要なわけじゃないし、産んだあとに検査があるって!」

とのことで


え?それだけ?それじゃあそんなに大したことなかったのね?
発育が遅い?そんなんいいよ!この子のペースで育ってくれれば遅いくらい!

(生まれる前はそう思ってたのにいざ発育の差が出ると焦って不安になってたショックあせる)


そして先生に書いてもらった評価を写真で送ってもらったのですがそこにはまた新しい病名の疑いが、、、





滑脳症


え?なんて読むの?すべる、、脳?なにそれ?

すぐにネットで調べたらまたまた不安を煽るような驚愕の内容でした。


滑脳症  かつのうしょう

脳のシワがない、またはシワが少ない稀な病気


予後不良(平均2歳)、歩けない、喋れない、知的障害、てんかん発作、、


え?

手術も治療もいらないって言ったのにこんな大変な病気なの?

(後から分かった話、手術も治療もいらないのではなく、できないんです。  
治療法はなく、リハビリで訓練していくってこと。治ることはない。)


治療法もないって、一生そのままってこと??

水頭症なら手術ができる病気だったのに今度は手術もできない病気が疑われてるなんて

もう本当に絶望感でいっぱいで、、

不安で怖くてしばらくまたずっと泣いていました。


考えたくなくても考えちゃう今後どうなるんだろうって不安ばかり。


あくまでも 疑い の段階だとは分かっていても、なかなか前向きになれませんでした。



※生後6ヶ月でMRIを再度撮った結果滑脳症の可能性は否定されました




ちなみになぜ妊娠後期(8ヶ月)で障害が見つかったのか? 
ですが、

脳の形成は4〜9週(妊娠が発覚する妊娠3ヶ月頃)の妊娠初期から始まります。この時に脳の設計図が決まります。

(息子の場合はこの時点でもう運命が決まっていたそう。小児科の先生には"神さまが脳の設計図を間違えた"と言われました)

ですがまだこの時期で障害は分かりません。


なぜなら妊娠後期の28.29週頃に脳のシワが寄り始め、脳が急成長するからだそうです。

なので息子の障害が発覚したのは28週だったというのに納得いきましたね。

それまではまだ脳も未発達だから障害の発見や診断も出せないんだそうです。28週まではとりあえず待つようです。


これを知ったのは産んだあとだったので、妊娠中はどうして?なんで?わたしのせいなの?ってすごい不安でした。



切迫早産になったから障害になったんじゃない?なんて言われたこともありました

なんも知らない人に言われる言葉ほど腹たつものはないですね。呆れますニヤニヤ




入院していた個室の窓からはバッティングセンターが見えて窓を開けるといつもカキーンと音がしていました。

小学生くらいの子が一生懸命やってるのを見て微笑ましく、うらやましく、涙が出ました


夫は結婚した当時からずーっと

「子供ができたらキャッチボールをするのが夢!ウシシ」と言って

性別が男の子と分かった時もすごく喜んでいました。


もしかしたらそんなささいな夢も叶えてあげられないのかもしれない、、この子はキャッチボールなんかできないんだってとにかく悲観的でしたえーんえーん


夫はいつもわたしを励ましてくれて、赤ちゃんに会えるのが楽しみ♫だっておれたちの子供だもん、かわいいに決まってるよほっこり

って言っていました

不安な気持ちもわかるけど、産まれてきてから考えようよ、今お腹にいる間は楽しいこと考えようよ

っていつもわたしを前向きにしてくれました。


この人と結婚して本当に良かったって思いましたぐすんドキドキ



このあと入院中には特に治療もないのでそのまま36週まで入院。そして退院しました!!



お産も特にトラブルはなかったのですがもし書けたらそのあたりを書こうかなと思いますニコ