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今回はその続きです。

2017年頃に腹膜透析を始めることになった昭和14年2月生まれの母を介護するのは、昭和13年11月生まれの当時79歳の父でした。

正に老々介護。

父はもともと腰が悪かったのですが、確かこの後、背骨の圧迫骨折だか、変形性脊椎症の酷いのだかで背中も曲がっていしまいました。

そんな体で、半身不随で第一級要介護認定の、わがままな奥さんの介護を続けていたのです。

 

最初の半年~1年くらいは2週間に一度くらいずつは顔を出したりしていたのですが、

当初は僕たちが来るとそれをダシに何か美味しいものを買ってこさせて食べようと目論んでいてそれがうまくいってたものの、続くとやはりだんだん厳しくなってきたことで、

行った直後は喜んでいるものの、数十分も経てば、

「どうせ、来たって何ができる訳ではなし、いつ帰るんや?そろそろ帰ったら?」

などと言う事が多くなり、

(もともとそれほど親子仲が密接だったわけでもなく)こちらとしても売り言葉に買い言葉のような気分で、あんまり顔を出さなくなりました。

そうこうしているうちにコロナ禍も始まり、出張も多かった僕は万が一のことも考えてこの2年間は余計に顔を出さなくなっていました。

そんな訳で、ケアマネージャーさんやヘルパーさんの力を借りながら約5年間、一人で介護を続けていたのです。

仲が良かった夫婦とは言え、「老々介護で疲れて(または相手に楽にしてほしいと頼まれて)殺人」というようなニュースを見るたび、

「あぁ、うちのオヤジじゃなくてよかった…」と胸をなでおろしたものです。

本当なら心臓の手術もしなくてはならなかったはずの父は

「俺が入院したらみてくれる人がいない。」

「もしも俺が先に死んだら…」

と常に母のことを第一優先で考えて自分のことは先送りにしながらいました。

そんな父に介護され見守られ、自宅で見送られた母の晩年は病気に苦しみはしたと思いますが、かなり幸せだったのだと思います。

 

父も今年84歳になります。

そろそろ母を起こしたり動かしたりすることも限界に近づいていました。

本当にお疲れさまでした。

 

そして、親不孝な一人息子で申し訳ありませんでした。

冥福を祈ります。