
こんばんは、Yopiokaです。
いつもありがとうございます。
先日、同じ日にとても似た内容の記事を3つ見つけました。
3つとも同じ2013/4/15にポストされた記事で、興味深く読ませてもらいました。
- “イマドキの新入社員はとても優秀――テンプレ就活生と問題解決能力”(『Business Media 誠』より)
- “週現スペシャル 大研究 第3部 アタマはいいけど腕はイマイチ 東大理Ⅲのテスト 東大医学部(理Ⅲ)に合格した人たち”(『現代ビジネス』より)
- “「ハーバードかスタンフォードにあらざれば人にあらず」!? 超高学歴化で弱く、つまらなくなったアメリカのエリートたち”(『現代ビジネス』より)
ここに挙っている方々はいわゆるエリートで、
私からしたら全員すごいんですが、どうやら現場レベルではそうではないらしいのです。
3つの記事に共通しているのは、
とても優秀で頭がいい人たちが、画一化しているということ。
「テンプレ化」や「金太郎飴化」などの表現で書かれていたり、
「優秀だが無能」とまで。。。
優秀であることは成功するための大きなファクターではあるけれど、
絶対的な要因でもない、ということですね。
凡人でも勝てる“可能性”があるんだと考えると、希望が持てます。
さて、記事ごとにその結論は違うので、そこについてここで触れることはしませんが、
テンプレや画一化がすべて悪いという訳でも無さげです。
テンプレすら活用できない、つまり「もっともらしい」「正解と喧伝されている」エントリーシートも書けない就活生は、最初から問題外という時代になってしまった昨今。
それに気がついていない就活生は、どんなに頑張っても上手くいかないということになりはじめています。
(中略)
オリジナリティ溢れる回答は素敵です。
けれども、最低限求められていることを「最初から無視して」の独自性は「求められていることを満たしていない」時点でダメなのです。
そこに気がついていない就活生や、就活支援をするアドバイザーが多く、結果として就活生を迷わせてしまいます。
「守・破・離」の精神です。
今の就活性は求められているものが多くて大変だなぁとしみじみ思います。
でもその一方で、ちゃんと能力と適性と熱意があれば、自分の望む世界で活躍できる公平性な世界が近づいてきているんだなぁとも感じます。
就職活動に限らずどんな世界でも、
地道に努力をして自力をつけて、
その先にオリジナリティを発揮していくことが肝要ですね。


