何となく、
前よりよりも動けなくなった気がすることってありませんか?
昔はもう少し、考えすぎず動けていたのに。
今は一歩踏み出す前に
いろんなことが頭に浮かんでしまう。
「自分がやらなきゃ」
そんな気持ちももちろんあるけど
最近思うのは
それだけじゃないかもしれない、ということ。
大人になってその先のことまで
見えるようになったからこそ
動けなくなることもあるのかもしれません。
前より動けなくなった気がする理由
子供の頃は、
「いま、これやりたい、やったほうがいいかも!」
それだけで動いていた気がします。
でも大人になると、一歩動いた先にある
責任や期待、役割までいっしょに見えてきます。
だから慎重になる。
それって、弱さではなくて
ちゃんと考えられるようになった証。
考えすぎるから慎重になる
察する力がある人ほど
場の空気や人の気持ち、この先どうなりそうかを無意識に感じ取っています。
だから一歩動く前に
「ここまでやったらどうなるかな」
「次も求められるかな」
そんなことが頭に浮かんでしまう。
動けなくなったのは
怠けているからでも弱くなったからでもない。
見えるものが増えただけ。
無意識に使っていた、あの頃の才能
小学校のころ、
林間学校でカレーを作った時のことを
今でも覚えています。
何も言われてなかったけれど
「野菜を煮たらお水を足すかもしれない」
そう思って水を汲みに行きました。
水を持って鍋の横で待っていると
先生がすごく褒めてくれて。
褒められるつもりも特別なことをやったつもりもなくてでも、すごく嬉しかったのを今も覚えています。
才能は未来を背負うためのものじゃない
大人になると、その才能が「役割」や「責任」に変わることがあります。先を感じる力があるからこそ、未来まで一気に背負ってしまう。でも本当は、才能は未来全部を引き受けるためのものではなくて、今、目の前にある小さな必要に応えるためのもの。「ここまででいい」そう思えた時、少し肩の力が抜けました。
心と身体はちゃんとつながっている。
考えすぎている時、身体も無意識に緊張しています。肩に力が入ったり、呼吸が浅くなったり。でも安心すると、自然と呼吸が深くなって、身体もゆるんでいく。心と身体は、いつもつながっています。
軽やかに、豊かに生きるために
察する力や、先を感じる力は、弱さではなく人生を豊かにする感性。それを消耗する方向ではなく、味方として使えたら、人生はもっと軽やかになる。
私自身の自分の経験が、誰かの人生を変える小さなきっかけになれたらいいなと思っています。ここに来てくれた人が、少し肩の力を抜いて、「これでいいのかも」そう思える場所であったら嬉しいです🌱
考えすぎている時、
身体も無意識に緊張しています。
肩に力が入ったり、呼吸が浅くなったり。
でも安心すると、
自然と呼吸が深くなって、身体もゆるんでいく。
心と身体は、
いつもつながっています。
軽やかに、豊かに生きるために
察する力や、先を感じる力は、弱さではなく
人生を豊かにする感性。
それを消耗する方向ではなく、
味方として使えたら、
人生はもっと軽やかになる。
私自身の自分の経験が、
誰かの人生を変える小さなきっかけになれたらいいな
と思っています。
ここに来てくれた人が、少し肩の力を抜いて、
「これでいいのかも」
そう思える場所であったら嬉しいです🌱
