恐れではなく、愛で行動する
よく耳にしていた言葉。
それについて、感じたことがあって。
うまくことばにできるかわからないけど、昨日の朝のできごとを
朝起きてすぐ、って、わたしは、
1日の中でいちばんすてきな感覚がすることが多いから、
ひたっていること、多いのです
昨日の朝、
「生きるのに罪悪感はいらない、よろこびで生きる」
と、きこえる?感じる?わきあがってきてね、
最初は、
罪悪感!?そんなの、感じてないよ!と、かき消そうとしたの。
生きることに罪悪感を感じてるなんて、わけわからなかったし、なんだか、こわかったからね、一瞬。
とっても大きなことやと思ったから。
でも、そーっと、感じてみたら、
生きることは、なんか、罪、と感じていて、
それをつぐなうために、今まで(無意識やけど)生きてきたかも、と。
愛からの行動か、恐れからの行動か、みたいなのって、よく耳にしてたけど、
そして、ちょうど、本田晃一さんのこのブログを見たので、書いてみる。
ここ数年、恐れではなく、愛を選ぼう、としてたけど、
なんとなく、それで行動してたつもりやったけど、
今まで自覚していなかった、最後の薄皮一枚が、
その、昨日のあの朝の瞬間、ふわりと溶けたような。
わたしの場合、
こどもの頃の、例えば、テストでいい点を取ったからほめられる、悪ければ怒られる、とか、その他たくさん、家庭環境やその他の環境もかな、
きっと、そんな小さなことのつみかさねで、
なんだか、生きること、って罪、みたいな大きな勘違い?をしてたみたい。
無意識やけど、罪ほろぼしのために、全ての行動をしてて。
例えば、受け取ることも、純粋に、受け取りきれていなかったかも、と。
20代の頃までと、比べものにならないぐらい、いまは生きやすくなってきて、
安心して、穏やかに、過ごせていたのだけど、
何かをする、とか、何かをもらう、とか、
謎の罪ほろぼしや、謎の申し訳ない、があったの
あれれ?なにその罪意識!
よろこびで生きて、いいんや
っていう、
数分間の、びっくり逆転の時間
愛からか恐れからか、というのとは、同じなのか、少しずれてるのかはわからないのだけど、
わたしは、よろこびで生きる

うまくことばにできてるかわからないけど、
一旦書くことによって、
また、次のことばがでてくるかな
とーってもきれいな場所
みてねー

