ここのところ書いてた(ときづいた)、
「わたし」をとりもどす、とか、「どうありたいか」とか、「自分は」とか、
なんやろ??えっと、、
いま感じるのが、んーと、、
(はい、まだ何を書くかも決めずに、書きはじめちゃってるし、ことばになるのかしら??)
あたまモードから、切り替えます
あたまでは考えられないことなかんじかな。
わたし、今までどこ行ってたのよ!(笑)よね
いや、そのことを怒ってもないし、責めてもない。
しかたがないこと。
「わたし」が不在で、
流れてきた?与えられた?環境や、出来事などを、
それがすべて、それしかない、と、我慢して、耐えて、苦しんでいた。
でも!苦しいんやから、どうにかしたい。
そんな時に、よく、
「よけいなものを、手放しましょう」みたいなことを聞いたり見たりした。
わからん!
何がよけいなものなのかもわからんし!
手放すって何やねん!
という感じでした
だから、それは気にしないようにしていた。(つもりやった)
のだけど!
1つ前の記事に書いてたみたいに、
自分のきもちいい、ここちいい、楽しい、嬉しいことを、1ポイントとして、
それを白いピンポン球⚪️って書いてたけど、
からだの中に、白いピンポン球⚪️を、どんどんためていくことで、
もともとあった黒いピンポン球⚫️を、押し出していく。
黒いピンポン球⚫️は、今までに身につけた知識や経験や情報や、基準とか、~べき とか、~が当たり前 とか。
黒いピンポン球⚫️が出てくるたびに、
これって、わたしに必要?どう思う?どうしたい?って聞いて、
わたしにいらない基準などは、不採用(笑)にしていったのです
そして、わたしの基準、というか、
きもちいい、ここちいいことが、
増えてきたのです
黒いピンポン球⚫️が少なくなっていくほど、
昔のからだの重さとかしんどさがなくなってきた。
白いピンポン球⚪️でからだを満たして、
「わたし」が存在する、わたしが望む、環境や出来事をつくりだしていくのです。
これは、これからもずっと。
「よけいなものを手放す」
「常識を疑う」
とか、
「わたし」が不在だと、わからないし、できないことでした。
わからないからあきらめてた(気がしていた)けど、
今のわたしになるために必要なことで、
すごく大事なことで、
「わたし」をとりもどすことができたり、
ただただ受け身の人生を苦しんで耐えてただけやったけど、
「どうありたいか」なんて感じられるようになりました。
さらに!
これは、またことばにできた時に書くけれど、
白いピンポン球⚪️の割合が増えてくるほど、
深ーく、自分の中心?みたいなところにも、
つながれるようになりました。
いまも、こうしてことばを書いてるときや、
踊ったり、表現してるときにしていること。
あ、こうして写真を撮ってるときもだ!
