人間の脳と幼児性の問題
カタカムナのココロをミツゴの魂に伝えるということは
宗教的な神や仏への感謝などというアタマ次元ではなく(それでも
それすら無いよりはよいであろうが)ミからの感動(ヒビキ)を以て真に
生命(イノチ)というものの有り難サを(この世に存在し得ることの難しさ、
則ち潜象の存在との連帯によって生命の発生する有り難さを感受し、スナホに感動する
「潜象カン」の根を養うことである。
生命(イノチ)に関する感動は、アタマの良し悪しとは関係なく(動物次元の脳
の機能をもつ者でも)アワ性(生命カン)の鍛えられている者には共振的に伝わる
ものであり、真の感動はどんなに繰返されてもうすれることのないものである。
それに反し人間の大脳次元の興味は、度重なれば必ず色あせる。(例えばどんなに
面白い漫画や喜劇も何度も見ればつまらくなる、ビフテキやうなぎなどのご馳走
も毎日では嫌になる。しかし、米のごはんや水はあきることがない。)
要するに生命(イノチ)の為によりよい、向上の資となる刺激は、幾度でも、繰り返す
ほどミにつくものである。(もしそれが、例えばごはんや味噌汁が美味しいと思えなく
なるとしたら、それは本人の健康の方に問題がある)
カンがよいということは、つまるところ自分の心身のよりよき向上になるものを
「快い」(おいしい・欲しい)と感じ、自分の心身をよりよく教え導いてくれる
人の言葉を「有り難い」(えらい・嬉しい)と感じて、どこまでもそれに従い
、それを求めたいと思う心につながる。
いわばこの最もアタリマエの態度(ココロ)に則って、高次の脳が働く
ことこそ、我々人間の「あるべきスガタ」にほかならなかったのである。
