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人間の脳と幼児性の問題

カタカムナのココロをミツゴの魂に伝えるということは

宗教的な神や仏への感謝などというアタマ次元ではなく(それでも

それすら無いよりはよいであろうが)ミからの感動(ヒビキ)を以て真に

生命(イノチ)というものの有り難サを(この世に存在し得ることの難しさ、

則ち潜象の存在との連帯によって生命の発生する有り難さを感受し、スナホに感動する

潜象カン」の根を養うことである。

生命(イノチ)に関する感動は、アタマの良し悪しとは関係なく(動物次元の脳

の機能をもつ者でも)アワ性(生命カン)の鍛えられている者には共振的に伝わる

ものであり、真の感動はどんなに繰返されてもうすれることのないものである。

それに反し人間の大脳次元の興味は、度重なれば必ず色あせる。(例えばどんなに

面白い漫画や喜劇も何度も見ればつまらくなる、ビフテキやうなぎなどのご馳走

も毎日では嫌になる。しかし、米のごはんや水はあきることがない。)

要するに生命(イノチ)の為によりよい、向上の資となる刺激は、幾度でも、繰り返す

ほどミにつくものである。(もしそれが、例えばごはんや味噌汁が美味しいと思えなく

なるとしたら、それは本人の健康の方に問題がある)

カンがよいということは、つまるところ自分の心身のよりよき向上になるものを

「快い」(おいしい・欲しい)と感じ、自分の心身をよりよく教え導いてくれる

人の言葉を「有り難い」(えらい・嬉しい)と感じて、どこまでもそれに従い

、それを求めたいと思う心につながる。

いわばこの最もアタリマエの態度(ココロ)に則って、高次の脳が働く

ことこそ、我々人間の「あるべきスガタ」にほかならなかったのである。

日本の上古代人は

一切をモノとして統一

物のみかた
物の考え方

生き物、人物、食べ物、など
生命と言うもの、時間というもの
空間と言うもの

日本人の潜在意識には
一切がモノであることが認知されている。


現象潜象の一切を別言すれば、
天然の存在一切をすべてモノとして

統一した。心という精神現象も
モノの特性でありすべてをモノ
の現象として物理を統一したが
直観の特徴である




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サヌキ・アワ性

わかりやすく言えば
(サヌキ)とは オトコの本性(アワ)とは、オンナの本性
のこと。
何かをしたいという意欲を持ち、目的にむかって突き進むのが(サヌキ)の性。
前後も見ずに飛び出そうとするサヌキに対して、それがうまくいくように、前にまわり後にまわり、右に左に(ココロ)を配ってその安全を守ろうとするのが(アワ)の性
相手に対し、まず反発的に自己を主張し、相手を否定してまで、自分を通そうとするのは(サヌキ)の性。相手が突き進んでくれば先ず身をよけてとおしてやり、それから相手が自分と同じ心ならそのまま受け容れ、合わないときは合うようにしむけ、とにかく相手を立て、相手に順応しようとするのがアワの性。

「自分の生命の支配者は自分だ」
という感覚、これは最新の遺伝子学、バイオリズム、クローン的発想をも含む、
サヌキ型思考である。
それに対し、「自分は人間以外の大きな力によって生かされている」
という感受性は、神秘宗教や最近の超心理、テレパシー体験を含め、
(アワ)の性の潜象感によるものではあるが、
それを判断する力(サヌキ性)の低い者はそれを、自分の特殊な個人的
「超能力」と錯覚する
ようするにサヌキ)の性は、一方的であり、目的的であり、
独善的であり、攻撃的であり動物的であり、主観的であり、
現象系(外向的)であり、自己中心的である。
これに対して
(アワ)の性は 受容的であり、依存的であり、柔軟性であり、
親和性であり 植物的であり 客観的であり 潜象系(内向的)であり、
環境適応性である。