皆さんお元気にされていますか?


お久しぶりです、ユンギ部です!

 

ユンギさんが兵役に行ってしまい早2ヵ月。

ユンギ部も短い動画を残して、どっかいったんか?って感じになっちゃいましたが、ただただ、溜まったレポートと試験を泣きながらこなしておりました🥹ひーん

まだまだレポートあるんですが←溜めすぎ


久しぶりにブログを書いてみようかと思いまして💦お時間ある方はお付き合いください💖


 

少し前ですが、yahoo!ニュースで、以前ブログでも書いたプロデューサーの齋藤さんのお話が出ていたので、以前のブログもちょっと掘り起こしてみようと思いました。

 


タイトルが少し重いですが... 

↑11月6日の記事です

 


 

そして以前齋藤さんについて書いたブログが以下です

日本デビュー8周年のときのブログで、ちょっと時系列おかしいとこもありますがご了承ください🙏

↓↓↓↓

2014/06/04 oriconによるデビュー告知✨

 

 

 

 

 

 

 
kstyleによる、デビューの記事

2014

 

 

初々しいーラブ💕

 

日本でもデビューしてくれて、ありがとうー爆笑💖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FINDERSの記事

 

日本デビュー当時のお話として、載せたかった記事があります。ファインダーズというウェブメディアの記事です。

 

 

 

 

韓国デビューから約一年後に、日本でのデビューとなったわけですが、その日本デビューに奔走した日本のプロデューサーのお話が書かれています。

 

ビジネス的なお話でもあり、そちらとしての読み応えもありますが、読み進めると、BTSが日本を気にかけてくれるのはなぜか、がわかってくる気がします。

 

 

 

齋藤さんは、日本の映像制作会社のプロデューサーでもあり、チャン・グンソクの日本でのプロモーションを手掛けたことがあり、その過程で韓国の芸能事務所に打ち合わせに行った際、4人の男性アイドル候補生が写る1枚の写真をスタッフが持っているのをたまたま見かけ、それがBTSのメンバーだったそうです。

 

その後、すぐに連絡を取ってパン・シヒョクさんと会い、意気投合し、防弾少年団の才能にいち早く気付き、日本での展開のプロデュースをする契約をすることになります。

 

しかし、初めは日本の芸能事務所や、レコード会社は難色を示すところが多かったそうです。韓国で人気がある、というのが前提なんだそうです。

 

それでも、好意的に話を聞いてくれた一つがフジテレビであり、齋藤さん自身のツテや繋がりも駆使して、まずはめざましテレビへの出演が決まり、次にポニーキャニオンというレコード会社が決まり、K-POPに強いイベント会社も決まります。

 

 

時系列で言うと、

 

2013.6.13 韓国デビュー

2013.12.7 日本でお披露目イベント

2014.1.6・1.7お披露目が人気のため再公演

2014.6.4 日本デビュー

 

ということになります。

 

 

 

日本でのお披露目イベントは「防弾少年団 1st JAPAN SHOWCASE」です。

 

 

2013.12.7 防弾少年団 1st JAPAN SHOWCASEの告知

 

 

 

2013.12.7 TSUTAYA O-WEST

防弾少年団 1st JAPAN SHOWCASE

 

 

写真:kstyle記事より。

 

 

 

 

 

追加公演2014.1の告知

 

 

 

 

 

 

 

 

追加公演

2014.1.6 Zepp Tokyo

2014.1.7 大阪なんばHatch

 

 

 

 

 

Zepp Tokyoでバンタン❗️

見られた方は貴重ですね❗️❗️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから、ちょっとビジネス的??なお話です。

 

売れるためにはとか、夢がなくなっちゃってイヤだ〜

ユンギ部の意見とかは、どうでもいい〜

 

という方は、ぜひここでそっとユンギ部のブログを閉じてください✨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では。

 

 

 

 

プロモーションにおける事情

 

 

韓国でまだ話題になっていない=日本から火がついたアーティストは「日本発」という見方をされてしまうところがあって、日本デビュー前には韓国人気が確立していなければならない、という事情があったそうです。先にも書いた、韓国で人気なのが前提の法則、なのです。

 

ここから、齋藤さんのプロデュース力をさらに発揮されていきます。

 

K-POPアイドルのセオリーから外れて、敢えて小さな規模から始めて少しずつ会場を大きくして階段を上っていく流れを考えてO-WESTではキャパシティは600人ほどでした。

それに対して約4万6000のチケット応募があったということで、既にかなりの注目と人気だったと思います。

 

公開オーディション(そうなんだびっくりひらめき電球)によってデビュー時にはファンが既についていたり、SNSやケーブルテレビもガンガン使い、ターゲットについてもママ「冬のソナタ」、お姉ちゃん「BIGBANG」、私は「防弾少年団」💜というかなり具体的な設定。初めは、ジョングクさんが15歳ということで、ファンのターゲット層は中学生だったそうです。(あらやだ、ごめんなさいね💦🤣)

ファンクラブも、1万円ではなく(他のグループってそんなにするんですか?キョロキョロびっくり中学生もママも納得の6000円。マスメディアのお偉いさんをイベントに招待して、熱気を感じてもらい、自ら宣伝スピーカーと化していくようにする。

 

齋藤さん、やりますねーグラサン

 

 

そんなこんなでお披露目イベントは成功、同年6月には日本でのデビューシングル「NO MORE DREAM -Japanese Ver.-」を発売してオリコン8位。

この頃にはファンクラブ会員数が1万人を超えていたようです。

 

 

 

 

 

ファンと共に育ち、初見の人にも最大のインパクトを与えるプロモ術

 

日本のメディア展開において、韓流雑誌を中心に進めるところを、BTSは一切そうせず、韓流ではない雑誌や、新聞、テレビに出ることで、あの子たちはだあれ?という強い衝撃を与えました。

韓流系の取り組みは、LINE運営の韓流エンタメを専門とするウェブメディア「Kstyle」を利用することで、利用者の中高生にアピール。

2014年6月4日に日本デビューを果たした後も、夏にはヨーロッパでファンミーティング、10月からはアジアのワールドツアーと精力的に活動。

 

 

 

 

日本での初ツアーは2015年2月からの「WAKE UP : OPEN YOUR EYES」

東京公演(幕張メッセ)などのホールクラスの機材で名古屋や福岡のZeppの会場でも公演して、地元の方にインパクトを与える。赤字公演になるが、ファンダム拡大、グッズ販売で総合的に黒字にしていく。

 

 

これも齋藤さんの計算済み。

プロモーションも闇雲にやれば良いというわけではなくて、きちんと目的や効果を見据えることが重要です、とのことです。

 

 

2016年6月日本デビュー1周年記念のフリーミニライブお台場で行い、めざましテレビに放映してもらう。会場には1万人が集結。

 

 

 

 

日本では、2015年6月には「FOR YOU」でオリコン1位。当時のツアー「2015 BTS LIVE 花様年華 ON STAGE」では、韓国では4000〜5000人のキャパだったが、日本では横浜アリーナで開催できるほどになっていた。それでも、ツアーの初日は、必ず韓国で開催するという、韓国優先のプロモーションを守り続けた。

 

 

 

 

齋藤さんの話。

今まで誰にも言っていませんでしたが、僕はパン・シヒョクと契約する時に1つだけ約束したことがありました。それは「BTSは世界を狙う。だから1億、2億円で満足するのではなく、何十億、100億円単位のビジネスに育ててほしい」ということです。

 

 それに対して、齋藤さんは普通の倍のスピードで達成すると返します。




2人のBTSにかける本気

先見の明

プロデューサーとしての確信と自信

 

 

 

 

バンタンの軌跡は、もちろん、バンタンの努力、実力、才能に、また努力努力努力...の賜物です。

これは間違いないです。1ミリも間違ってないです。

 

その一方で、こういった裏方で、どうやったら、BTSが日本に浸透していくか、ファンダムを大きくしていくか、上手くプロモーションを進めていくかについて、日本の方がこれだけ綿密に考えて働きかけていたという事実。

 

そして、パン・シヒョクさんもそうですが、彼らの才能をいち早く気付き、成功するという揺るぎない確信

 

本人たちでさえ、まさか僕らが😆、と笑ってしまうくらいだったのに、必ず彼らが成し遂げるという、信念

 

 

 

 

 

 

 

 

しびれた。

ユンギ部は、しびれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国では、大きい事務所が、優先的にメディアに選ばれるし露出も多い。バンタンは当時は小さな事務所でマイノリティーとして、疎外感を感じていただろうし焦りもあったと思う。

 

日本でさえ初めは、韓国大手の事務所でないとという流れのある中、それでも少数派が手を貸し、やがて大きな流れを作った。

 

日本でも韓国でも、今後の活動がしやすいよう、韓国優先を守りながら。

 

バンタンの中で、苦しい時に日本のファンダムに支えられた、という想いはこの頃の経験が大きいのではないかと思う。

 

もちろん日本の音楽市場が大きいので、そこで売れることは、アーティストにとっては重要なこと。

そうビジネス。

それも一つの側面です。


でも、それを差し引いても、日本語バージョンをあれだけ出して、さらに日本語オリジナル曲もこれだけあるというのは、他にそんなグループってあるんでしょうか?


日本に思い入れがある、日本は贔屓されてるってって言ってもいいんじゃないでしょうか???


  1.  
  2. Film out
  3. Your eyes tell
  4. Stay Gold
  5. Lights
  6. Let Go
  7. Crystal Snow
  8. Don’t Leave Me
  9. Wishing on a star
  10. GOOD DAY
  11. FOR YOU
  12. THE STARS
  13. WAKE UP
  14. いいね!pt.2 ~あの場所で~

 

 

 

日本デビュー8周年、おめでとうございます㊗️

日本のデビュー日があるなんて、本当に嬉しいです💖

 

これからもずっと応援してます💜

 

 

 

 

 

↑↑↑↑

8周年のときに書いたブログでしたー

 


いかがでしたでしょうかー

今とあんまり変わらないオタク的ブログ笑



これを機に、ちょっと前に書いたブログも掘り起こしてみようかな、なんて思ってます照れ