今回のブログは、次の2つのブログの続きになります!
つづき。
前回のブログでは、アイデンティティについて考えてみたことを書きました。
行ったり来たりしながら、見終えたバンタン会食。
今更ですが😅、振り返ってみます。
もう、明日から、8月。
もう引きずってる場合じゃないと笑
バンタン会食、前半は楽しそうだった✨
だから、見ることができた、とも言えます。
でも、最後まで見ると、きっと、話すべき内容があったからこそ、テンション上げて話してたのかなぁと感じたりします。
ジンさんの話のセンス😆
JIN: SUGAさんがダンスしてるの見てよ
僕たちはダンス歌手だよ
JIN:(ルームメイトとして)エピソードがたくさんあるけど話せる話じゃないな〜
SUGA: この話は毎年してない?
JIN: 地下で過ごしてた時マットレスのサイズが合わなくて
(グクは無理やり切っちゃったというエピソード)
J-HOPE: 本当にあれはカルチャーショックだった!
(休みの過ごし方でJINくんがゲームをずっと過ごしていたというエピソード)
JIN: SUGAさんのスケジュールを見たんだよ
あ、こうやって過ごしちゃダメなんだ
僕は休憩時間がない笑
JINくんいつも変わらず、面白おかしくエピソードを話してくれて、この日も相変わらずで。
パンPDが、メンバーは成長して変わっていったけど、JINだけは昔と変わらない、と言ってたけど、本当にそうだなぁと思う。
彼がフラットなのが、救いだなぁとつくづく思いました。
とっても頭の良くて、回転も早い。
出過ぎたりしないけど、瞬時に必要なことを判断して、適切な塩梅のお話をするジンさん。
今回は、ナムさんが、話さなくてはいけないことを語り、そのフォローと補佐をSUGAが主にしているようだった。でも、その傍らで、一歩引いて全体を見て、さらにフォローをするよう見守っていたのがジンさんだったように思う。
そんなジンさんに毎回、ありがとう、と思う。
SUGAは、ずっとテンション高かったなぁ、、、
重い話題を、どうやって重くなり過ぎずに伝えられるか、考えてたのかな、なんて。
(ジミンちゃんの曲作りをサポートしてる話で)
SUGA: フューチャリング費用いくらか知ってるよね(冗談)
J-HOPEにドン引きされる🤣
SUGA: もちろん全部タダでやってあげるよ〜
That That踊ったり、プロデュース料上がったね、と言われたり😆
アイソレーション、やるんだね🤣
一緒にやりたい😆
習い事をしてるというくだりで、日本語が入っていたのは、本当に嬉しい
ソロで日本語曲とかあったら、泣き死ぬと思う😭
ナムさん: 明日は皮膚科も行くじゃん
SUGA: なんで知ってるの?
このくだり、面白かったー🤣
面白エピソードが続いた前半から、SUGAの一言を皮切りに本題に入っていきました。
SUGA: 僕たちが今、一時的な休みに入ったじゃん
RM: 僕たちが話したかったことがありますよね
RM: 僕たちのシーズン1は「ON」まで
JIN: そうだね、もともと「ON」だったよね
ONの活動で、ワールドツアーを終えたら、一区切りにするつもりだった。
でも、コロナで活動できなくなり、そんな話をする機会も失ってしまった。そんな中で、コロナで疲れ切った世界を癒す曲を作ったり、彼らの若者としての発信力に着目され、たくさんの役目を担うこととなった。
そして、ますます話す機会を失ってしまった、そんな話をしていました。
そして方向性の話へ
SUGA: うん、するべきでしょ、方向性について話すなら
ONの後に一区切りをつけるはずが、その機会がなくなり、コロナの渦中で、世の中を癒すという活動の理由ができて、dynamiteが生まれて、butterや permission to danceがあって...
でも、dynamiteの後から、方向性を見失ってしまったと感じていた、と。
今の仕事のスタイルは、考える隙を与えてくれない、成長する機会を持てない。
どうしていいかわからなくなった時に、立ち止まって考えること、1人の時間が必要だと感じた、と。
V: それから僕たちが、何倍にも大変だった理由は、今まで団体での活動にすごくこだわってきたから。
7人での活動を、何よりも優先してきた。
チームをまず考えて。
それが、BTSの団結力、仲の良さを生み出して、グループを大きく成長させたことは間違いないが、それと同時に個人の犠牲も大きかったのだろうと思う。
RM: 今回、RUN BTS!の活動はしません、ごめんなさい。こういうマインドでやったらダメだと思います。
音楽番組の出演を決めたことについて。
JIN: でも音楽番組をやるという決定。簡単なことではありませんでした。
僕は、ファンの皆さんの歓声。それだけです。それが本当に恋しくて、それしかないですよ。どれだけ恋しかったことか、大きかったと思う。
メンバー間でも、出演については、葛藤があったのかもしれない。
最後の一人一人の言葉。
考えれば、SUGAは創作活動は苦しいと言い続けていたし、とても楽しい気持ちでAgust Dの曲を生み出せたとは思えない。
ドキュメンタリー映画でも、バンタンの苦しい顔、辛い顔を目にしていた。知らなかったわけではない。
苦しいときも、7人が、僕たちの存在意義はARMYだ、頑張る理由だと言って、活動してくれていたことも知っていた。
何を今更、自分はうずくまっているのかと思ってしまう。
→つづく