3/9は、推しのお誕生日でした🎉
家族以外の、
しかも会ったことのない青年の誕生日を、
こんなに楽しみに思ったり、
ワクワクドキドキしたり、
そんなことがあるんだなぁと
amebloでも、TwitterやInstagram、weversなどでも、お祝いコメントが溢れ、それぞれのお祝い方法で一日を過ごされていて、見させてもらうだけで楽しいし、同じグループが好きであることに共感し、気持ちを共有できることに喜びを感じました
私は、というと、いつもと変わらない平日でしたが、
一つしてみたいことがあって、実行しました
以前、まだ BTSファンでないときに、ニュースで BTSメンバーが寄付、それに賛同してARMYも寄付活動をした、というのを目にして、凄いなぁと感心しました。
そして、自分もファンになり、そうしたことがなぜ起こるのか理解しました。
今まで、気持ちがあっても行動に移すことができなかったけど、きっと今年もSUGAは何かしらの寄付をするのだと思い、私的なセンイル祝いと記念の意味も込めて、寄付をしてみました。
今、自分が手を貸したいと思うことを自分なりに考え、寄付先が沢山あるので活動内容が具体的な団体を調べて、少額ではありますが…
調べることで、知る良い機会となりました✨
まずは、知ること
大切なことかなと思っています
3.11
私たちは、11年前東日本大震災で、寄付を受ける側でした。
もう、ずっと前に気持ちの整理をつけているのに、当時の話をする時は、感情がたかぶらなくても勝手に涙が出ます。
たぶん、あまりにも突然に日常が失われたことで、あの日の記憶にヒズミができているのかもしれません。
その段差を越えるのに、体が、すでに儀式的に涙が出るよう設定されてしまったようです。
一種のトラウマでしょうか😅
価値観も大きく変わりました。
当たり前の日常は、ある日突然当たり前ではなくなる
10代、20代は、自分のために生きました。
自分がどうしたいか、何がしたいか、そんなことが中心でした。
家族ができてからは、家族のために生きました。
明けても暮れても家族優先、自分のことなんて二の次、自分の時間なんてありません。
そして、子育てが一段落した今、自分の時間を少しづつ持ちはじめました。
そして、これからは人のために生きたいなと思っています。
大きなことはできません。
特別な人間でもありません。
高校の時の地理の先生が、ひょうきんだったんですけど、ある日、中東の紛争の話をする授業の中で、急に真剣な顔をして、先生は先生を辞めて、ボランティアに行こうと考えたことがある、と話し始めました。
調べれば調べるほど、自分は、ここでこうしていていいのか、という疑問に押しつぶされそうになった、と。
本当に悩んだが、ある考え方に行き着いて、今も
教師をしています、と。
もちろん現地で直接手を差し伸べたい、活動することはとても大事だが、今の自分の場所で出来ること、やるべきこともあるのではないか。
私は教師だ、教壇に立って紛争の話をする、それを聞いた生徒が興味を持ち、大きくなって医師になって助けに行くかもしれない、政治家になって寄付を募ってくれるかもしれない、行き場を失った子どもたちを受け入れてくれるかもしれない。
今、いる場所で出来ることをしよう。
そう思ったそうです。
ときどき、この話を思い出します。
大きな問題が起こっていると、
自分の無力さを感じてしまいます
でも、大きな力はないけど、
無力でないと思います
直接的でなくても、きっと何かに繋がっていくはず
11年前、困っている私たちを助けてくれた人たちがたくさんいてくれたように、私も誰かの助けになりたい、今そんなことを思っています。