人生には実に様々な出来事があります。
楽しいことがあれば悲しいこともあり、嬉しいことやそうでないこと、
ラッキーなことがあればアンラッキーなこともあります。
そして人生とは時に非情な時もあります。
 
「俺が何をしたっていうんだ? どうしてこんな目にあうのだ…、
何故、こんなにも辛い目に…」
 
自分は望んでいないのに、いくらあがいても、逆らっても、どうしようも
ない時もあったりして、
そんな時、人は、つい弱気になっては、そこから逃げ出したいと思う
ようなこともあります。

以前の私がまさにそうでした。

その現実を素直に受け入れることなんて到底出来ず、
何んとかしたい、どうにかならないかと、あがいては抵抗しまくり、
挙げ句の果てには、何も変わらないその状況に更に落胆して自暴自棄
になり…、
今思えばこれまで本当にずっとこんなことを繰り返し続けてきていたなぁ
と思います…。

今から約2年ちょい前になりますが、私はある理由から、生きていることの
意味が分からなくなってしまっては、
自らの意思でこの世を去ろうと、自殺を考えたことがありました。

当時、精神的にも肉体的にもボロボロ状態だった私は、ある日、楽に
なりたいと思っては、部屋の天井からロープを下げ、
そこに首を突っ込んだ後は静かに目を瞑ってその最後の時を待ちました。
首輪の中に首を入れ、足元には灯油缶を置き、その上に乗り、
後はその灯油缶を自分の意思で蹴り倒せば終わりという状況の中、
私はその後30分余りにも渡って、
よし、もう逝こう、よし、灯油缶を蹴るぞと、そう思いながらも、
結局はその最後のあと一歩が実行出来ずに、
絶望の中においての更なる絶望、
こんな状況になってさえも、自分は自らの命を絶つことさえもしきらない
のか… という苦しみに苛まれていました。
ふと目に入ってきた、眼下に見えたパソコンデスクに置いてあった時計
の針は、首輪に首を入れてから35分が経過したころを指していました。

もう、死にたい、もう楽になりたいと、それだけを望み、もうその覚悟も
十分に出来ていたにも関わらず、
どうして後のその一歩が出来ないのか…?
何故こんな状況になっても、まだ、生きることに未練を残す自分がいる
のか?
と、そう思うと涙が勝手に溢れてきたその時のこと、
その瞬間、突然何かの自分の頭の考え以外の何か…、 
何か説明のしようのない、自分の意識以外のところからやってきたような
温かいエネルギーのような眩い光が私自身を包み込んできては、
私はその後一瞬にしてその光によって頭の中が真っ白な状態にされ、
次の瞬間、それまでに抱えていた苦しみから瞬時に解放されることと
なりました。

その眩い光が何だったのか、その温かいエネルギーのようなものが
何だったのかは正直なところ今でも分かりませんが、
その時の私にはそれに対して抵抗する気力などは全く無く、ただ、
なすがままになるしか方法はありませんでした。
 
その後、その光に包まれた後、真っ白な世界から意識を取り戻した
私は、暫く経って冷静さを取り戻しては、自らの意思でその灯油缶
から降り、その後はそこに放心状態のような感じでうずくまっていました。
 
それから約2週間程が経ったある日からのこと…。
 
いつからか夢の中に、何かの人物像が頻繁に出現するようになり、
それは例えていうなら歴史上の武将?(戦国武将のような感じではなく
なんとなく僧侶っぽい? または歴史上の偉人、または神様?)
という感じの、(恐怖感などは感じないけれども、でも明らかに強そうな
エネルギーを強烈に発している)、不思議な存在が度々出てくるように
なりました。

以前、ある有名な霊能力者の方と知り合うきっかけがあり、私はその
余りにも毎夜に見る不思議な夢のことが気になり、
それが何を意味しているのか知りたくてなっては、ある日その方に連絡
を取って、それが何かを突き止めたいとお願いしました。
 
後日その方にお会いし、それまでの経緯を話した後は、
その方は、その方自身が繋がっているという存在(神様?)と会話の
交信のようなものを始めては、暫くの間その存在と会話をしながら、
こう質問しました。

「それはどなた様ですか?」

その存在が、彼にそれが何者かを伝えたようでした。
彼は目を瞑ったまま冷静に頷きながら、「毘沙門天さまですね…」と
静かにそう言いました。
その後、その不思議な会話の交信が終わって、彼は目を開けると、
目の間に座る私に向かってこう言いました。

「毘沙門天さま…って聞いたことありますか?」

名前だけは聞いたことがあったので、私はその通りにただ、名前は
聞いたことはあると素直にそう告げました。
 
彼は続けてこう言いました。

「毘沙門天は四天王の一神で、戦いの神様であり、宝富の神様です。 
あなたはその毘沙門天さまが守護してくださっています。 
通常、普通の人には神様は滅多についておらず、大抵の場合には、
守護霊がついているのがほとんどです。 
何らかのカタチのこうした神様が付く人というのは、大体、2万人から
2.5万人に1人と言われています。
これまでにもあなたは相当な守護をこの神様によって受けています。
その最後の自殺未遂の際にも、それを踏みとどめさせたのにも大きく
関係しています。 
だから、大丈夫。 
あなたはその尊大な毘沙門天さまの守護によって守られているので、
この後もそれを忘れることなく、その真実に目を向け、そこに常に感謝
をしながら、この残された自分の今世を思い切り、目一杯に生きて
ください」  と…。
 

その後の私は、その方にそういうことを教えてもらってからというもの、
それ以降は、何かの絶大なる安心感を心の内に感じるようになっては、
またそれと同時に、これまでには全く持つことも無かった意識が芽生え
始め、
その後は自分自身の探求をする為にも、誰かに何かを言われた訳でも
なく教えられた訳でも無いのに、いつからか勝手に少しずつ、瞑想を
するようになっていきました。

それまで、何かどうしても宗教的な匂いを感じ、そういう瞑想なんて
ものは胡散臭いと思い込んでいた私でしたが、
ある日から突然そういうものを自らがするようになっていった私の中の
変化は、それからというもの、それまでとは別人と言える程に変わって
いくこととなりました。
 
 
あの、生まれ変わりをすることとなったきっかけを生んだ未遂事件の
日から810日…。
 
 
正直なところは、まだまだ、朧気ながらもなんとなくが分かり始めて
きたというレベルであって、
間違っても、悟りの境地に入ったなどとは思ってもいませんが、
ただ、この今の自分自身が感じている意識レベルの中で思うこと、
また、言えることというのは、まぁ、当時のいろんなことに悩みまくって
いた時の自分と同じような方には、多少なりともは何かの助言には
なるのではないかと思い、
今回は、こういうことを共感できる方、または興味ある方と共に分かち
合うことが出来ればいいなと、こうしてブログを開設させて頂いた
次第であります。
 
正直、この世の中の成り立ちには何が正しくて、何が間違っていると
いうものはなく、実際のところはそれはどんなことにも正解、不正解と
いうものはありません。
 
俺は一体、何者なんだろう…?
俺の生まれてきた意味は何だろう…?
私のこれまでの多くは正しかったのか…?
私の歩んできた人生は間違いだったのではないだろうか…?
俺は、私は、この先、何を信じ、そして、どこへ向かって歩んでいくの
だろう…?
この世の中は今後どうなっていくのだろう…?
そして、私はその中で、いつかはちゃんと自分自身を認められる日が
来るのだろうか…?
 
 
そう思いたくなるのは凄く分かりますが、
でも、結果から言えば、
そんなに心配しなくても、それは絶対、大丈夫!!と、
そうハッキリと言っておきます。
 
 
全てはドンピシャです。
この世の中、この宇宙とは、全ては完全完璧に作られています。
例え今どんなに迷うことがあったとしても、、いつかきっとあなたにも
その意味が分かる日が来るはず…。
 
「何故? どうして? こんなこと自分は望んでいないのに…」と、
 
それまで意味の分からなかった1つ1つの出来事をジクソーパズル
のピースに例えて、それを人生という広大な枠に置いていった時、
 
途中からそれらピースが少しずつ繋ぎ合わさってきてその絵が見え始め、
最後に、それらが完璧に繋がっては、その絵が完成した時、
いつかあなたはこう思うはず…。
 
 
「あぁ…、いいことも、嫌なことも、楽しいことも、そうでないことも、嬉しい
ことも、悲しいことも、いろいろとあったけど最後はこういう風に、
今世の人生はこれを体験するように、また、体験したくて、
この世に産み落とされてきた、自らが自分でそう決めていたんだね…」
 
と…。
 

今日ここに、これを読んで下さったあなたと出会えたことに心からの
感謝を申し上げます。