「名取市閖上復興支援のブログ」 | ユガンのブログ

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「名取市閖上復興支援のブログ」より
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3月19日
『人生で1番泣いた日・人生で1番後悔した日』


『今日こそ絶対ママ見つけてね!』
13日以降、嫁を探しに行く前に毎日ひかり(上の子)から言われる言葉だった。

そして市役所で情報を集めたり、病院に電話したり、同姓同名がいる少し遠い避難所に探しに行ったりしてた。
毎日新しい情報こそ耳にはするが、同姓同名という事以外で顔や特徴が一致する嫁の情報はなかった。

夕方、一通りの事を終えて1日の最後に必ず行ってた遺体安置所に行った。
遺体安置所の中が見れるようになってから毎日通ったが、顔を知ってる人だけでも軽く100人は越えていた。

そしていつも通り遺体を確認していた時、探していた嫁を見つけた。

最初は嫁じゃないって思った。

顔は少し傷付いていたけど、遺体というより本当に疲れて眠ってるような感じだった。

目の前の光景が信じられず頭が真っ白になりながらも、身につけていた物を確認して嫁が使ってた見覚えのある携帯・結婚指輪を手に取って本人であると確信した。

『おかえり』って言えなかった・・・

子供たちの約束はもちろん、何より俺自身、嫁に会ったら二度と離ればなれにならないように抱き締めて迎え入れようと思ってたからだ。


もう声が聞けない・・・


もうあの笑顔を見る事ができない・・・


これから子供たちの入学式や卒業式、成人式や結婚式を一緒に祝い、老後も一緒にいられるって思ってた。

そんないろんな想いが全身を駆けめぐり、周りに人がいる中で俺は声を上げて泣いた・・・

いくら仕事が忙しいからといって、無理にでも俺が仕事を休んで一緒に卒園式に出て、あの時ずっと側にいてやれたらきっと嫁は助かった。
津波で死んだんじゃない・・・俺が家族より仕事を優先してしまったせいで、助けられた嫁の命を見殺しにしたのも同然だと思った。


1番辛い時に側にいてやれなくてごめんね・・・

1番怖かった時に守ってあげらなくてごめんね・・・

もっといろんな話をしたかった・・・

もっと家族でいろんな所に行きたかった・・・

もっともっと幸せにしてあげたかった・・・

もっと一緒にいたかった・・・

本当に悔しくて悔しくて何度も後悔して、ずっと泣きながら自分を責め続けた。


少し落ち着いてから叔父と一緒に手続きを済ませ、避難している所に帰り、子供たちにママがいなくなった事を伝えた。

『ママはお星様になったんだよ・・・』

その話をした時、子供たちは分からなかったのか普段通りにしてた。
けど、少し時間が経って母とひかりの姿が見えなくなった。そして母に呼ばれ行ってみたら、布団に隠れて声を殺しながら泣いているひかりを見つけた。

今年小学校1年になるひかりが、みんなに迷惑かけまいとずっと我慢していて1人で泣いていたのだ。

大人に不安を与えまいとして影で泣いてるひかりを見た瞬間、ひかりを抱き締めて一緒に声を上げて泣いた。嫁に対しても子供たちに対しても、何度もごめんなって謝りながら。


あれから何日も過ぎ俺も子供たちも少しずつではあるが落ち着いてきた。

今は火葬も葬儀も済んだけど、まだ嫁がいなくなったって実感がわかない。
けど、嫁が天国でも笑ってくれるようにする為にも、嫁の分まで子供たちをちゃんと育てられるように必死に頑張ろうと思う。
それが愛する嫁に対してできる唯一の恩返しだから。

いーちゃん
子供たちの笑顔を絶やさぬように、俺頑張るからね。


最後に勝手ながら嫁に送った手紙を書きます。


『いーちゃんへ』

こんなに早くいーちゃんがいなくなるなんて思いもしなかった。
これから先も子供たちと一緒にずっと毎日笑って生活できるって思ってた。
いーちゃんは俺が機嫌悪い時でもいつも明るくて常に優しく接してくれたね。
その優しさと明るさで俺がどれだけ救われたか、支えられてたかっていうのが今になってすごく分かったよ。
俺はそれを当たり前のようにしか感じず、いーちゃんに何もしてあげることができなかった。
今さら後悔しても遅いけど、こうなるんだったらもっと幸せにしてあげたかった。
もっといっぱい愛してあげたかった。
正直まだいーちゃんがいなくなったって実感がないや。
またどこからかひょっこり出て来て、いつもの笑顔でまた一緒に生活できるんじゃないかなって今も思うからね。
それくらい、毎日が優しさと幸せに満ち溢れていたよ。


地震が来た時、津波が来た時、1番怖くて辛い時に側にいてやれなくて本当にごめんね。

あの時俺も一緒だったらいーちゃんは命を落とすことはなかった。

結婚した時、『何がなんでも絶対守る』って約束したのに俺はそれを守れなかった。
本当に本当にごめんね。


いーちゃん、君に出会ってから今まで毎日が本当に幸せでした。
結婚して6年という短い時間の中でも、いーちゃんと共に人生を歩めて本当に良かったと思うし、本当にいーちゃんと家族になれて良かったよ。

俺と結婚してくれて本当にありがと。

そして子供たちを産んでくれて本当にありがと。
いーちゃんが頑張って子供たちを産んで、俺が会社行ってる時にちゃんと子育てしてくれたおかげで、ひかりや響も優しさを持ち、明るく元気に育ったんだよ。
地震が起こって津波が来た時、自分の命を顧みず先にひかりや響を避難させてくれたおかげで、子供たちは無事だったんだよ。
子供たちを守ってくれて本当にありがと。
これからは俺がいーちゃんの分まで、子供たちを愛し守り続けるからね。

いーちゃんはひかりの入学式を本当に楽しみにしてたね。
俺が夜遅くに帰っても、楽しそうに入学の準備をしていた姿は今でも目に焼き付いてるよ。

その姿を見て、俺は本当にこの人と結婚して良かったって思ったし、それを見てこれから先もっと幸せにしてあげたいって思った。


これから先ひかりや響の事が心配で心配で仕方がないと思うけど、何一つ心配しなくていいからね。
子供たちが優しくて立派な大人になれるように俺がちゃんと育てるからさ。
だから、安心して天国から見守ってて下さい。

子供たちにとってはもちろん、いーちゃんにとってもカッコいいパパ・夫であり続けられるように頑張るからさ。

・・・そして自分の使命を果たし人生を終えた時、今度はまたいーちゃんに会いに行くよ。
それまでの少しの間、一緒に笑ったり一緒に生活できなくて寂しい思いさせちゃうけど、俺がそっちに行ったら寂しい思いをさせた分、その何倍も絶対幸せにするから少しだけ待っててね。

最後に・・・
いーちゃん、さよならは言わないよ。
また会えるって信じてるし、何よりこのままさよならって言って別れるっていうのは嫌なんだ。それに俺自身これから先もずっと一緒にいたいって思うから。
だから俺がそっちに行った時、またいっぱい笑っていっぱい楽しんで、また結婚しような。

いーちゃん、今もこれから先も俺はいーちゃんを愛し続ける。

一緒になるのはまだもう少し先になっちゃうけど、俺が迎えに行くまで、いーちゃんも体壊さないようにゆっくり休んでね。

またね。

達也



















she always be with u