「修行」って勘違いされてるんだなぁ、と、、、
修行って「執着」を切っていく、というか、溶かしていくというか、溶けて消えていくというか、、、そっち方向なんですね
執着って「言葉」からできてるんですよ
感情になる瞬間、コンマ何秒の間にそれが言語化され、言葉が繋がって「ストーリー」になる
その「ストーリー」でまた感情が生まれる
そして、そのストーリーに「執着」がおきる
その「執着」が「苦しみ」を生む
↑このループで「苦しみ」のストーリーに「没入」していくわけ
で、今のスピ界隈の「おためし」はこの執着を強める方向(だからドリーンさんは悪魔に騙されたって言ってるのさ)
本格的な修行に入る前に、不倫とか盗みとかからは手を引いておかないと、ストーリーが強烈過ぎて、言語によるストーリー化を止めるのが困難というか、ほぼ不可能になる
だから、本格的な修行に入る前に戒律を守っとくというのが重要になるんですね
で、「修行」は、このおためしの真逆をいきます
瞑想も↑でおきてる事を起こさせない
ストーリーを生ませないよう、言語化してきてもそれを「無視」というか、積極的に「言葉に言葉を上乗せさせない」ようにする
だから、前世が出てきてもそれにこだわらない
吹き出してきたら「そういうことかぁ」で終わり
手放す、っていうか、勝手に手放しが起こる
それで浄化されてるんだから、そこで終了なんだよね
「完全なる無執着」は全てのストーリーに執着がなくなること
新幹線の車窓から見える「景色」みたいになって、景色を見てる人は永遠に持続する幸せの中で微笑んでる
人生で起きる辛いことも修行といえば、修行なんだけど、悟りや解脱への修行は起承転結の結に当たるんですね
長い輪廻の中で、起も承も転もすでに終わってて、全話回収というか、振り返りみたいな部分
感動的な小説を読み終わって、本を閉じるようなもんかな?
でも、回収できた時、始めて本当の自分と本当の誰かと触れ合うことができる
それまでは、本当の意味では自分にも相手にも触れ合えない
だから、ホラーでもラブストーリーでもいいんだけど、まだまだ盛り上がったり盛り下がったりのドラマティックな展開が欲しかったら、それは本格的な修行期には入っていない
物凄く辛い事があったら、次は物凄く幸せな事が待ってるのかもしれない
それを味わっている最中
まだ、小説の中にいるんだね
別にどっちが凄いとかじゃないんだよ
だって個別の「私」自体が実は存在していなくて、修行期に入ったエネルギーの集合体が修行してるだけだから
そんなわけで、おためしと修行は真逆という話でした