「魔境」について | ハーナヨーガ's blog

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京都・上賀茂神社神社より徒歩3分 Yoga教室のヨーガにまつわる呼吸・瞑想のおはなし。

※他ブログにアップしていたものを再掲





瞑想修行をしていると「魔境」というコトバを耳にする事があります。


魔境」と言えば、お釈迦様が悟られる前に悪魔が修行をやめるよう誘ったり悩ましい美女が誘惑してきたり、という逸話が有名ですが、意味が複数あるのか誤解も多いようです。


ネットで魔境を検索するとある瞑想経験ン十年の瞑想指導者が「間違った修行によってそういう状態になる。」と語っているのが出てきたりします。


でも、そうするとゴータマ・ブッダは間違った修行をしていた事になってしまうわけで。。。

先日私も瞑想中に初めて経験したので気になって調べてみたところ、本山博先生の本に魔境についての記述があったので転記します。





これはサイキックな雑念とも言うべきものである。

物理的次元の肉体の制約を多少とも超え、自我の殻を破るにつれて、物理的次元より高いアストラルの存在からの作用を受けることが生じてくる。アストラルの存在がその想念、考えを修行者の心に吹き込み、その想念に従わせようとする場合がある。

また、修行者の心に憑依し、修行者の心身を自分の意のままにコントロールしようとする場合もある。このような憑依や働きかけが生ずる時、修行者は通常不安定になり、心身症か神経症状を呈する場合が多い。

あるいはアストラルの存在を心霊と思い、自分を霊格を得たと錯覚する場合もある。


 アストラルの世界の存在(霊)が修行者に憑依したり、自分の意志に従わそうと働きかけるのは、修行者とそれに働きかける霊とが、霊的進化において同位、同種のものである場合が多い。従って修行者が憑依する霊よりより高い霊位であれば、水は高いところには達し得ないと同じ通りで、霊は憑依したり働きかけたりはしない。働きかけても影響は小さい。不安定になったり、神経症になったりしない。

 


魔境を払う方法

時には修行者よりも霊位の高い、しかも邪悪な霊が家のカルマ等によって働きかけてくる場合もある。この場合も、同位の霊が働きかける場合も、自分が信仰している神仏の御名を唱え「守り給え」と心で一心に念ずることが一番の妙法である。第二番の法は経典(例えば般若心経)祝詞を唱えて、霊の働きかけを気にしないことである。平気でおることである。すると影響がでない。



コチラより抜粋



 瞑想には必ず『正師』が必要なのは、こういう事が必ず起きてくるからでもあります。


 本山先生もこの本の中で「個人のカルマを超えたような世界へいこうとすると、必ず邪魔する魔が出てきます。必ずね。魔の会わないようなやつは、宗教者としては、霊的な成長という点から見たらまだ駆け出しなのです。魔に会わないような人は、まだまだ宗教的には一人前ではない。まだ個人のカルマの中で動いているに過ぎない。霊が憑いた。怖いなどと言っても、そんなのとは全然違うんですよ。魔に出会うというのは。魔にあったらそれこそ怖いから、どうしたって神様を拝むようになります。」と書いています。



私の師も「修行が進んでいる証拠なので魔境を恐れることはない。」と仰っていました。

瞑想は深めていくと危険を伴います。

きちんと修行を積んだ人に指導してもらいましょう。