昨日の朝、川を清掃してくれていた。

ありがたい。

毎朝散歩をしていても、私にはできないことなので感謝。


母を見送ったのは先週の土曜日。

もう一週間過ぎた。毎日、一人暮らしの私は淡々と過ごしている。

月曜日に姉と2人で施設へ行き、荷物を引き取り、菓子折りをお礼に置いてきた。その後市役所で死亡届を出して解散。

元同僚の3人とランチ兼飲み会をしたのは火曜日。母のことは黙っておいた。楽しい席が暗くなっても行けないし、と勝手に思っていた私、何気なくホテルランチを楽しんできた。たくさん食べた。


母の荷物は昨日、ゴミ袋に入れ替えて処分。膝掛けだけ残して、他は全て処分。

膝掛けは私が使っていこうと思って、洗濯して保管。3日位、これもさわれなかったけど、金曜にやっと箱を開いて触った。


それ以外は、わんこ達と私の普通の日常。


家にいてなぜだか突然泣ける時があった。3回くらいかな。マンションの部屋だから、誰に気兼ねすることもないのでわんこと一緒に居て、泣かせてもらった。ワーワーと声が出るほどに泣いた。


喪失感なのか、感傷なのか。ヒクヒク泣いた。母と娘、一緒に暮らしたのは私が23歳の頃まで。その後は私が家を出たから同居はない。母に似ている私、顔も背丈も、洋裁とか編み物等の手芸好きなのも同じ。でも違うのは母は専業主婦で生き、私はずっと働き続けたことかな。

母は実家の近くの家に暮らしていたので子供の頃からの友人が多くいて、専業主婦だったからのんびり時間もあって、仲の良い人が何人かいて、旅行やらランチやら、相手をしてくれていた。父は他府県出身、友達もほぼいなかったのか、会社にいた頃の知人以外の友人を私は知らない。ゴルフ友達も元の会社の人たちだけだったかと思う。


意外と社交的な母、営業マンだったのに友人の少ない父と対照的だった。


私は父方の従兄弟とも仲良かったが姉は全く付き合いはない。友達とも疎遠。父みたいだな。顔も父親似だし。

私は学生の頃からの友人や元同僚達と時々会うから、それなりに人との付き合いも続けている。母みたい?

似てない姉妹。キャラは違ってて、のんびり成り行き任せの姉と、計画的でまあまあしっかり(自分で言うのもなんですけど笑)の私、と違う。姉と妹、いまは仲がいい。母との面会に一緒に通っていた期間が一層仲良くさせてくれた。母のためになにができるか、次にいつ会いに行けるか、最期をどう迎えるか、色々と話してくる中で今の生活ぶりもお互いに話し、家族のような親友のような感覚になった。


母に会いにいくことがなくなった。

相続関係の手続きで、あと数回は会うことになるとは思う。その後はまた疎遠になってしまうのかなぁ。年に1、2回くらいは会っていけるかな。


父も母も献体を希望していた。火葬となるのは一年か一年半後になる。墓を建てるのではなく、お寺の納骨堂の個室に預けることにしているので、父はいま1人で母を待っている。姉と2人で訪れていたこのお寺に、母も納めることになる。姉と2人で時々訪れるのがこの先姉と会う機会になるだろう。


姉妹2人で行ったら喜んでくれるかなと思っている。


相続はすでに多少の現金のみに整理してある。手続きは司法書士に任せず私が調べながらやるつもり。

法務局や金融機関、年金事務所や市役所。父の時もやったように、母の分もきちんと2人で対応する予定。もめる要素は全くない。相続は綺麗に二分の一ずつ。

集める書類や作成する書類はこれから。数ヶ月で完了できるだろうと思う。


私はあまり父親のことが好きではなかった。でも母親のことは好きだった。専業主婦だったけど考え方は割と新しくて旅行好きで、明るい人だった。あまり良い娘でもなかった私だけど、最後の一年は親孝行出来たかなと思う。亡くなる前の日、面会の30分、楽しく2人で話をできた。一年前のような元気な様子で話してくれた。今思っても驚くような様子だった。あんなに痩せて体力もなかったのに、何故あんなにたくさん話ができたのか。不思議。それで次の日の夕方には呼吸を止めてしまうのだから、なんだか、不思議でしかない。

母の友達、父の兄妹のこと、海外旅行のこと、私の仕事のこと、あっという間の30分。ありがとうお母さん。最高にいい時間を最後にくれて感謝だよ。

あー、また涙が出てしまう。


私の母親は85歳、兄妹も全て亡くなり、最後の1人だった。頑張って生きた。コロナがなければもっと良かっただろうが、これはもうどうしようもない。

マンションの部屋に母の写真と遺品となった母の結婚指輪を飾った。10年くらい前の両親2人並んだ写真も姉に貰った。時々話しかけながら、ゆっくりと私も生きていくことにしようと改めて思っている。