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なお
これは個人の感想で
感じ方には個人差があります
私の目線で思い込みですので・・・
コメントへの返信は期待しないでください

JW.ORGより

エホバの証人の創始者はだれですか

エホバの証人の現代の組織は、19世紀末に始まりました。
そのころ、米国ペンシルバニア州ピッツバーグの近くに住む
聖書研究者の小さなグループが、聖書を体系的に調べ始めました。
行ったのは、諸教会の教理と聖書が実際に教えている事柄との
比較
です。
そして理解したこと、本や新聞、また現在
「エホバの王国を告げ知らせる ものみの塔」
とよばれている雑誌に掲載しました。

その聖書研究者のグループの中に、チャールズ・ティズ・ラッセルが
いました。

ラッセルは聖書の教育活動に率先し、「ものみの塔」誌の
最初の編集者になりました。
とはいえ、新たな宗教を創始したわけではありません。
当時「聖書研究者」と呼ばれたラッセルたちのグループの目的は、
イエス・キリストの教えを広め、1世紀のクリスチャン会衆の型に
倣うこと
だったからです。
キリスト教を創始したのはイエスなので、わたしたちは
イエスがこの組織の創始者だと考えています。-コロサイ 1:18-20.


と、文字の色を変えたりとかしてコピーしてみましたが
意味ピーです
イエスが組織の創始者である説明になっていない
『現代の組織』
「エホバの証人」という名称としては、現代だろうと過去であろうと
1931年7月26日の大会からで、2代目会長ラザフォードが
初代会長ラッセルの痕跡を根絶したいがための中のひとつの事でしょ
『19世紀末』って?
年代なんか間違っていようと、どうでもよかったっけ・・・・
奇妙でも無条件にうけいれなきゃね
『諸教会の教理と聖書が実際に教えている事柄との比較』
『理解したこと』
実際には諸教会だけではなく当時の神学思想からも多く
借用していたらしいけど
用は、良いとこどりしてたって事だよね
『 聖書研究者の中に、チャールズティズラッセルがいました。』
なぁんかその中の一人低度の扱いだよね
『最初の編集者』
『とはいえ、新たな宗教を創始したわけではありません。』
『とはいえ』・・・・
こういう否定の仕方すきだよね
最初の編集者だからといって創始したわけではないと言うのは
解らないわけではないけど
元々、伝統的教理に疑問を持っていて、しばらく宗教から
離れていたラッセルが
1869年頃、当時流行りだしていた再臨派(アドベンティスト)の
集会に参加
感化されて1870年、6名の友人と「聖書研究会」をつくり
毎週集会を開いた
1876年、再臨派のネルソン・H・バーバーと提携
ラッセルは宗教雑誌「朝の先触れ」誌を印刷するための資金を
個人的に寄付し共同編集者になる
1877年、小冊子「我らの主の帰還の目的とそのありさま」を出版
同年、書籍「三つの世界およびこの世界の収穫」を共同出版した
共著という事になっているが、実際はラッセルが資金
執筆はバーバーだったらしい
ラッセルは何をしていたかというと
1877年、事業の株を売却し全時間の伝道活動に携わり
旅行しながら多くの講演を行い
資金が尽きると寄付により活動を続けた
とまぁここまではよかったが、他人の褌で相撲をとる事など
長く続くはずもなく二人の見解が食い違うようになり
「朝の先触れ」誌1878年8月号~12月号まで論争が続き
ラッセルはバーバーへの資金援助を打ち切り決別してしまった
ラッセルの考えを受け入れる宗教がないので
ラッセルは伝道旅行よりも、自身で雑誌を発行する事に着手し
1879年7月「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」
現在の「エホバの王国を告げ知らせる ものみの塔創刊した
1879年~1880年には各地で集会を開くため
ペンシルベニア州、ニュージャージー州、マサチューセッツ州、
ニューヨーク州、デラウェア州、オハイオ州、ミシガン州に約30の
会衆を設立し、ラッセル自身が各会衆を訪問することを取り決めた
と、ダラダラとかきましたが
結局は既存の宗教ではラッセルの考えを100%主張する事は
不可能なので自身の雑誌と会衆をつくった
これって創始にならないのかな


ながくなってしまったので続きは次回で・・・・・
有難うございました。