https://youtu.be/VK8VX8kuJAk
最近、この三木大雲住職の怪談話をよく聞いている。
怪談話の体を取りながら、人生の説法を説いてくれて味わい深い。
タイトルはレンタル彼女だが、テーマは呪いの話。
世之介の怖い話のテーマの中で「ブードゥー教の呪い」の話も掲載しているので併せて読んでみてください。
さて、呪わば穴二つ。
他人を呪って殺そうと墓穴を掘る者は、その報いで自分のための墓穴も掘らなければならなくなる。 人に害を与えれば結局自分も同じように害をうけることのたとえ。 人を祈らば穴二つ。 人を呪えば身を呪う。
三木さんがおっしゃってるように呪うことは強烈で必ず自業自得となって、その災いは自分の身にも降りかかるとのこと。
まさに‘‘言霊の力’’の為せる技であり、引き寄せでもあると思います。
故に人の悪口を言うのも自分に降りかかるし、人に恨まれることをしてしまうのもいいわけがないわけです。
そして、三木さんがおっしゃるように、呪いが効果があるのなら、当然‘‘祈り’’にも効果があるわけで、
どうせなら、呪うのではなく祈りましょうという話。
呪うのは、誰かに仕打ちを受けたから仕返しをしようという行為です。
そのような仕打ちを受けないようにするには、まず自分が誰かに良かれと思うことを日々、自然と行うことです。
つまり、親切という善行を積むものに呪いの脅威はどこ吹く風となるものです。
そうそう、この三木住職の話を聞くようになったのは、
かの「冷たい熱帯魚」の題材となった「埼玉愛犬家連続殺人事件」。
埼玉県でペットショップ「アフリカケンネル」を経営する元夫婦が、詐欺商売で顧客とトラブルを起こし、彼らをストリキニーネで毒殺して遺体を跡形もなく処分していた凶悪事件。
この犯人と修行僧の時にたまたま知り合いとなり、何度か毒入り缶コーヒーを飲まされそうになったが、
何本かある毒入り缶コーヒーの中で、唯一の毒無しコーヒーを再三に渡って選べて命拾いをしたというエピソードの持ち主だったからです!
この犯人は、後の取り調べの時に刑事に「神や仏はいるもんなんやなあ」と語ったそうです。
特に宗教心は持たなくとも初詣でには行く日本人。
どこかで身についた習性なのでしょうが守られたいという気持ちはあるのでしょう。
ならば、その言行を正しくすることこそが肝要なのだと
今回しみじみと思い知りました。
若い頃、イジメていた悪事がいつまでもついて回る怖さ。
それを見くびるからこそ公表してしまうのでしょうが、
人を蔑んだり、見くびったり、羨ましがったり、妬んだり・・・
人と自分を比べることがどんなにくだらなく暇なことか。
そして、人は人、自分は自分。自分を強く持つこと、動じないことが呪われない秘訣でもあります。