香港1997つづき | 世之介@仙台東口周辺

香港1997つづき

21年前、香港返還の夜を現地でむかえて、

強烈な印象を受けた夜と、

それに先がけて行われた返還セレモニー。

(ホテルでおみやげにもらった返還記念の小さなお皿)

 

報道されたのは、その返還セレモニーの式典とその出席者のインタビュー。

 

報道されなかったのは、

その日、有名なデパートの前に集まったフィリピンメイド。

香港の女中、お手伝いさん達。

休みの日はここに遊びに来るのがお決まりらしい。

返還セレモニーの日は休みをもらった子が多いらしく、

いつもよりもたくさん集まってるって盛り上がっていた。

 

明日からは『ただの外国人』になる英国人も多かった。

同じく『すでに国外に出て外国人になる香港人』も。

 

その時に聞いた話で面白かったのが、

「香港が中国になるんじゃない。

 中国が香港になるんだよ。」

香港人のプライドかなと思って聞いていたら、

後で行った広州の人からも同じセリフを聞いた。

 

香港の共産主義化ではなく、中国が資本主義化する。

今になってみれば、まさに正鵠を射ていたことがわかる。

 

鄧小平の改革路線によってすでに中国は市場原理を重視していて、

途中『天安門事件』などの停滞期はあるものの、

全体としては確実に開放路線を歩んでいた。

 

その流れの中に、

香港が返還されることで、

まるでウィルスのように中国全土に『香港』が広がることになる。

香港と広州の経済人が共通して予言した言葉は、

ノストラダムスの大予言よりも大当たりだった。

 

今問題になっている中国共産党による抑圧も、

かつての圧力とはベクトルが違う気がする。

 

NHKの番組内でも紹介されていたように、

新たな香港人は中国本土にチャンスを見出している。

かつて巨大市場だったアメリカは衰退し、

世界第2位の経済大国になった中国こそが、

香港人が目指すべき巨大市場になった。

 

そもそも香港は『鎖国時代』の中国においても、

秘かに開かれた港として存在し続け、

密貿易の拠点や外の文化の流入点として栄えてきた。

 

その香港が中国に返還されたことの意味は、

ひと世代を越える頃に明らかになるのだろう。

 

あの日から21年が経って、

中学以来の友人であった高津亮平くんは亡くなってしまったけれど、

彼が望んでいたような『幸福で自由な香港』は実現したのか。

機会があれば確認したいと思っている。

 

おまけに、

アイジンという中国人のシンガーソングライターがいて、

彼女が歌う曲の歌詞に

『香港、広州、南の中国、

 一度は行きたい南の中国』みたいなフレーズがあって、

さまざまな抑圧の中にあった北京の若者にとって、

『南の中国』が自由のイメージになっていたのが面白かった。

 

実際、その時に広州市を案内してくれた広州の若者はこそっと、

「僕、ほんとは北京の人間なんですけど、

 天安門の時にテレビに映っちゃってこっちに逃げてきたんですよね。」

と教えてくれた。

 

それで広州市政府の仕事をしていたわけで、

「それって大丈夫なの?」と聞いたら

「あぁ、広州ってそういうの緩いんですよ。(笑)」と。

 

なるほど、

『南の中国』は実在すると納得したのでした。