AKB48に感じている違和感。続き。 | 世之介@仙台東口周辺

AKB48に感じている違和感。続き。

朝起きて
ちょっと修正した。

さすがに眠いのに書いてたから
誤字脱字がスゴイ。(笑)

2013年の大島優子のコメントは
「涙の出ない・・・」に始まる例のヤツ。
指原も思っていたようだけど
やっぱり麻友に女王になって欲しかったんだろう。

でもね。
それが勘違い。

以前も書いたことあると思うけど
AKB48って
「本質的に王道アイドルではない!」
ということ。

まゆゆが王道かどうかは別にして
あっちゃん・優子も含めて
AKB48は邪道を極めて
新しいアイドル像をつくってのし上がってきた。

その邪道の肝が
劇場公演という
「会いに行けるアイドル」というコンセプトだったはず。

そして
さっきのブログで書いたように
新公演ラッシュになるはずだった2013/2014は
何事も無く
2015年を迎えた。

2015年のリクエストアワーセットリストベスト1035
ソロやユニットを含めたにせよ
1035曲という数はすごかった。

新公演を書けない秋元康は
2種類のCDを4種類に増やして
新曲を書きまくっていた。

NGT48の発表に
秋元は
「1週間前に聞いた」と755でコメント。

あっ!
秋元康は
すでにそういう立場なのかと実感した。

最後の違和感。
過去の劇場公演の再演で誤魔化している中
なぜか最高レベルと言われた
「目撃者」はどこもやらない。
やれない?

かつてのAKB48
TeamAはスターチームであり
その公演が「目撃者」だった。

もうやれるメンツが揃わない!
ということかな。

思い出せるシリーズの
公演再演ライブも2013年以降やらないね。

感じていた違和感の原因は
「会いに行けるアイドル」という
初期コンセプトの喪失かな。

残念な違和感は\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ
希望を持てたのは
ここしばらく
卒業が相次ぎ
単独ミュージカルの為にメンバー不足で
シャッフル公演をやっていた
SKE48。

SKEらしさは「がむしゃらさ」と言われるけど
本当の意味での
SKE48らしさは
「劇場公演第一主義」なんじゃないかな。
そう思わせてくれる公演が続いたようだ。

私が
AKB48を面白いと思ったのは
過去のアイドルとは違うアプローチでのし上がってきた
そのシステムだったり
ノウハウだったりが
新たなビジネスモデルとしての可能性だった。

デジタルな時代に
劇場ライブと
握手会という
もっともアナログな
かつての演歌歌手がやっていたような手法。

それが
新鮮で
劇場に公演を見に行って
圧倒された。
(これは以前も書いたので割愛)

新公演を書けないと言っている
秋元康のウソは
リクエストアワーセットリストベスト1035の
曲数にあらわれている。

2014年のリクアワに感じていた違和感は
2015年のリクアワで明らかになった。

昨年のじゃんけん大会も同じ。
ソロデビューという逃げの姿勢。

AKB紅白をファミリー劇場がやってくれていて
今年までの流れを見ることが出来た。

そこに見えたのは
新しい挑戦が消えて
いつの間にか
リスクを負わない逃げになっていることだった。

全ての責任は
エグゼクティブ・プロデューサーの秋元康にある
とは言い過ぎだけど

少なくとも
シングルのTypeを増やさなければ
そこに費やされた曲で
新公演を作り上げることが出来たはず。

そこに収束しないあたりに
秋元康の気持ちが見え隠れしている。



朝からうざいな。(笑)