CHANGE
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CHANGE
ドラマが好調のようですね。
アメリカ大統領選挙でもキーワードでした。
たしかに、世界は変えられる。
私は1954年生まれだけど、村上春樹に共感できません。
いわゆる1970年代の喪失感とかを共有できません。
我が母校「新潟県立高田高校」は、
1970年代の学園紛争に「生徒心得全廃」という快挙を成し遂げました。
制服をはじめとする、いわゆる学生を縛るあらゆる規制を排除することに成功したわけです。
私も生徒会総務のひとりとして参加ししてました。
担当はおまつり全般。(笑)
(誰だ、やっぱりとか思ったヤツ。)
前年、体育館で行われた音楽祭を厚生年金会館に会場を設定し、
土曜日であるにもかかわらず他校に参加を呼びかけました。
もちろん圧力がかけられたけどね。
それでも友人達が続々と参加してくれました。
仙台に来た時、私の友人は今は亡き高津亮平ひとりでした。
もちろん、ひとりの東北大学生にすぎなかった彼に力はあるはずもなく。
カルチェラタンを皮切りにグリーンハウスからサハラオープン、
サハラからジジックへといくつかの成功をおさめました。
サタデーナイトフィーバーのヒットとか運も良かったしねぇ。
ラジャ・コート、マハラジャへと引き継がれた流れはバブルの象徴になりました。
途中SLDA(仙台ライブDJsアソシエーション)の2代目代表におさまって、
会は発展的解消を経て「AREA NETWORK」を結成。
フリーペーパーからラジオ番組獲得、洋楽レコード売り上げは東京を凌ぐヒット曲が生まれました。
そう、自慢話です。(^_^;
もちろん私だけでなく、私の周囲にいた人たちも含めて。
理解して欲しいのは、変えられるということ。
CHANGEは、絵空事のドラマじゃなくて、現実だということ。
ふたりの得難いパートナーが私を助けてくれました。
そもそもわたしに政治家への道を示唆してくれたのはそのうちのひとりPOKI。
お互い市井のDJとして限界を感じていましたからね。
変化を起こそうとしたわけだ。
そして、実際、変化は起きた。
「サタマガ」という実験的な番組は地元のスポンサーが降りて、終了が予定されていました。
でも、明星食品宣伝部がのってくれたんですね。
そんな挑戦的な番組に食らい付いた子供たちが宮城にはいたわけだよ。
すごいな。
その感性を私は信用しています。
もちろん裏切られることもあるけどねぇ~。\(o ̄∇ ̄o)
それでも私はCHANGEは可能だと信じています。
いくつかの「変革」を成功させていますから。
その活動の中で、仙台・宮城の持つポテンシャルを実感しています。
「CHANGE」は夢物語じゃなくて、
理想を追いかける現実主義者にとっては、あるべき事実だということ。
東北にはその力がある。
と、断言しておこう。