うじうじと考えてるだけだから変わらないんだ


いっそのこと寛解して完全回復した前提でブログを書いてみよう。

その時どんな自分でいたいのか。先取りしてみようと思う。



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僕は15年うつに苦しんだ。

もちろん波はあって治ったなと思っていた期間もあるが、何かをきっかけにそれはまたやってきた。

特に2017年からのこの4年。

実家に戻って会社をつごうと思ってからの期間は長く鬱々ともどかしい時間だった。


結局僕は仕事が上手くいっているか。

が常に人生の指標だった。

充実して前向きで、チャレンジできているか。

手ごたえを感じられているか、否かで上手くいってないと生活全体が重く苦しく鬱々としたものになっていた。


逆に上手くいっていると自信が湧き、安心してハツラツと生きられた。


何かをきっかけに。。それは仕事が上手くいっているかどうかだったのだ。


上手くいっている時。

新たなことにチャレンジする気概があって

少しずつでも前進し

学ぶ意欲があった。

困難は訪れてもそこに立ち向かえる前向きな気力があった。


2007年復職の時

2008年新製品担当の時

2011年からの経理異動の時

2014年頃家新築から会社戻ろうと思った時

2020年寛解から復職に向けた活動期

などがそれだ。


でもなぜか長続きせず。崩れてしまうのだ。

なぜ上手くいかないのか。


自分の中から湧き上がるものでなく、

周りの期待に押しつぶされそうになったとき

それは自分を押さえつけ。苦しい自分に自ら追い込んでいったのだった。


しかも周りの期待とは自分が作り出した、期待値なのだ。こう思われるだろう。こうしなきゃ。こうしなくちゃ失格だ。自分がつくったカッコいい自分。あるべき自分。


そこに至るまでを想像して今の自分の実力と気力と比較して無理だと決めつけて。

手足が止まってしまっていた。


結局やりたくないことをやっていたんだと思う。

または自分がうまくいくと確信できないことに

チャレンジしなければと言い聞かせて無理矢理やろうとしていたんだと思う。


会社を継ぐ。

そこにはいろんな思いが折り重なっていた

家を継ぐ

おじいちゃんの代からの期待

自分にはそれしかないという逃げ

両親を安心させたい

うまく引き継いで発展させて自分の力を見せつけたい

父親を見返してやりたい

自分のやりたいことを押し殺してきた恨み

今更どうしろって言うんだ。。。



そして僕は〇〇を手放すことでその呪縛から解放された。





分からない。


なぜこんなにも仕事に立ち向かう気力が湧いてこないのか。


あのやる気はどこへ行ってしまったのか。


やってやろうという気概はなぜ湧いてこないのか。


どうにもこうにも逃げ誤魔化すように過ごすこの時間が嫌だ。どうにかしたいのにどうしていいか分からない。


そんなもどかしい時間をやり過ごしています。


Y

分かっているのに動けない。


やらなければいけないのに。


仕事場の空間にいるだけでいられなくなる。


自室に引きこもっていたい。

どうせスマホをいじってるだけの時間を過ごすのに。


どうにも自分が嫌になります。


仕事が降ってこないように閉じこもって。

触れられないように暗く装って。


そんな自分が嫌になる。


ほんと些細な仕事がこなせない。手につかない。


これはうつなのか。逃げてるだけなのか。


苦しくて苦しくて自分が嫌になります。


Y

憂鬱だ。逃げ出したい。


今日は体調が悪い。


将来の不安が襲ってきて逃げ出したい気分だ。


どうにかならんかこの不安。


手を動かせ。


 Y

今はもうホントはうつなんかじゃない。

それでしか自分を維持できないからうつをがっちり掴んでいる。


自分が手放せないもの。


それは何だ?


過去の経験からするとそれは1番目を背けたいことのはず。

最もこうはなりたくない。と思っている事の中にある。


そうするとやはり両親との関係なのかな〜

もうこのまま動かしたくない。

何かが勝手に解決してくれないかとと思っている。

でもこればっかりは自分でなんとかするしかないんだよなー

苦しいな。どうせいっちゅうねん。


いい加減腹括って実践せねばいかんのに。

何をどうしたらいいんだー


 Y




昨日のブログを読み返してみて、

両親に不満はない。感謝している。と書きました。

でもやっぱりこれは表面上の理性の言葉な気がしました。


他の人の境遇と比較して

僕の境遇は恵まれている。そんな不満を言ってはいけない。という外面な思いな気がします。


本当の所を言うと

寂しかった、孤独だった、僕がこうなったのは両親のせいだ!というのが本音かもしれません。

そんな感情を差し置いて、愛してるなんて言えるか!今更泣きついてお母さん寂しかったよ。なんて言えるか!今更どうして欲しいもない。ただただクールにやり過ごしていたい。

親からは独立している体を成したい。


でも本当はそうじゃない。

僕は幼い頃から一人で生きていけると言い聞かせてきた。立派な息子でいたはずだった。

でも本当は自立できてなかった。

両親に甘えたいという気持ちを押し殺して頑張ってきた。



これらを投射した結果が、今の現象=仕事になんにも気力が湧かない。うつ。なんだろうと思う。

両親から自立しようとすると不安になって、うつに陥ってしまうのだと思う。


じゃあどうすれば?


 Y



なんかブログが混迷してきました。


どこに向かおうか分からなくなってきました。


それもそのはずです。自分が今混迷しているから。


僕がすでにうつを完治したという状態で過去を振り返るなら理路整然と書けるでしょうが、

今僕は道に迷っています。 でもきっとこの道に迷った状態をアウトプットすることでなんとかしたいとも思っています。


1年前から取り組んでいるYSメソッド。

心の病の根本原因を両親との人間関係が原点だと言います。

そしてそれを治すのは全ての人が共通して持つ自然治癒力。顕在意識、潜在意識の奥にある生命意識だと言います。


何かを加えるのでなく、元々あるものを引き出すのだと。


一見スピリチュアルか?とか怪しい信仰か?と疑いたくもなりますが(まあ完全に否定はしませんが)  うつ病寛解率。再発率から見る実効性をみると

絵空事ではないような気がします。

僕の経験上からも過去のうつ抜けた状態をもし生命意識と言うのであれば、あの状態を意図的に引き出していけるのであればすごいと思うんです。


実際実は僕もこの1年で一度寛解と言える状態までいきました。

本当に不思議なことに

・体が軽くなって

・気持ちが前向きになり

・行動力が増して

・興味関心が湧いてきました。


しかしよし前向きに頑張ろうと、今年1月に復職したところ、あの寛解が嘘だったかのように元に戻ったような状態になってしまいました。


・体は重く

・気持ち的に現状維持が精一杯

・新たなことにチャレンジする気概もなく

・好きだったことをするエネルギーも湧きません


やっぱり僕の場合この仕事に何かのメッセージがあるようです。


だったら仕事を変えようか。とも考えましたが、そう単純ではないような気がするのです。


結局僕の場合仕事=家=両親との関係。となっている気がするのです。

もちろん環境を変えることで好転する可能性もあるでしょうが、どうしてもそれでは根本解決にならない気がするのです。

ある意味では今1番問題の核心に迫っている気がするのです。


では両親との何が問題なのか。

僕は過去に虐待を受けたとか辛い体験が決定的にトラウマになったという訳でもありません。。

何かを強制されたとかでもなく、自由にやらせてもらって、与えてもらえるものは何不自由なく生きてきました。と思っています。

両親に特にこれという不満があるわけでもなく育ててくれたことに感謝しています。


でもじゃあ両親を愛しているか、それを素直に表現できるかと言われるとその気持ちが沸き上がるかと言われると、ちょっと気乗りしません。


生命意識に目覚めた時、そこを素直に感じられるか、それを実践に移せるかが好転のキーなんだそうです。by YSメソッド

人間関係の原点のフィルムを書き換えられるか、それに応じて言葉、態度、行動が変えられるか。



まだ思い切りが足りないのかもしれません。

回復に飛び込むのが怖いのかもしれません。


ほんとはもう病なんて存在してないのに、それを認めるのが怖くて躊躇して病を掴んでいるのかもしれません。


あー混迷するなー


どーしたらいいんだろーと迷いながら。またうつ状態に陥ってしまう苦しい状態な今です。


さあてここからどうなるかなー


 Y




うつはメッセージ。

なんのメッセージかといえば

今の自分がやりたくないこと無理してやってるんだよ。ということだと思う。


じゃあ辞めればいいじゃん。


その通り。


でもそう簡単に出来ない。


僕は今祖父から続く小さな会社を継ごうとしている。いわゆる家業ってやつだ。

従業員を抱えている訳ではないし、大きな赤字事業でもないし、特段の能力や技能を要求されている訳でもない。側から見ればそんな大変なことではないかもしれない。

が、なぜか僕は拒否反応を示している。


仕事に向かおうと思うと、どうしょうもなく体が重く、気が滅入り、仕事を背負っていく覚悟が湧かない。興味関心が湧かず新たなことにチャレンジしていく気概もない。現状維持又はそれ以下が精一杯なのである。


今は幸い両親健在なので事業は成り立っているが、両親も高齢。引退も時間の問題である。


その時を思うと不安で仕方ない。


その不安から逃れるためにうつ症状が出ている。


それが今の僕の状況なんだと思う。そう今は理解している。


社会でやっていく不安。それは誰でもぶち当たる自立の壁なんだろう。

みんなそれを乗り越えて社会で生きている。


それに耐えられない自分は、ただ甘えているだけなのかもしれない。そうも思う。


でもぼくの生い立ちから形成されてきたアイデンティティではどうしょうもないじゃないか。

とも思う。


今は誰のせいにするでもなく、この状況をなんとかしたい。


大変なこと、辛いことが起きない人生を望んでいるわけではない。


どんなことが起きても立ち向かい、自分で生きていくんだとい気概をもって人生を生きたいんだ。



Y


うつ病は辛い。

精神論とか頑張りでは通用しない脳の疾患だ。

これは確かにそうかもしれない。


ただ一方でうつ病は本当に存在するのか。

これは僕の考えていることでもある。


そもそもうつ病の原因は医学的に分かっていないという。セロトニン?その原因は?である。

診断も患者の主観的な症状の訴えが基本であるし薬物療法の効果もどうやら改善するらしいという臨床上の経験則でしかないらしい。


と。医学的な云々を書きたいのではなく。。


僕はうつ病は一種の自己防衛本能の一つであると思っている。

うつ病を作り出しているのは自分自身であるというのが僕の思いだ。

こう書くとじゃあうつ病は甘えなのか?議論に巻き込まれそうだが、そうとも言い切れない。


心の仕組みが目に見えて解明されない以上難しいが経験から言ってうつ病の原因をピンポイントでこれだと言い切ることは難しいと思っている。


ただうつ病が防衛本能だとすると症状は原因がある限り出続けるのが当然だし、原因を追求せずに症状だけ抑える薬物療法を永年続けて生き続けるのはどうしても苦しいし、副作用に人生を支配されるのは嫌だというのが僕の思いだった。


うつ症状は自分を守ってくれている現象。

病でなくメッセージなんだと思う。


それでなんのメッセージなの?

ここがなかなか一筋縄にいかない難しい問題なんだと思う。


Y



そもそも自分がうつ病と診断されたのは15年前。

社会人になった最初の会社で上司とソリが合わず。自分を追い詰めた結果ダウン。

思い返せばそのもっと前からあれはうつだったのかなと思うところもあるけれど。。なんだか生きにくさを感じてた。


でもこの時もうダメだと思い。休職に陥った。

そこから2ヶ月ひたすら社会と断絶し、孤独と暗闇を求めて引きこもった。

自分はどこまで孤独になれるのか。生と死を彷徨ったように思う。


ある時、真夜中に散歩していたさなか、ふと見上げた月を見ている時に自分の心臓の鼓動をみた。(目の眩みだったが)

こんなに孤独と暗闇の中で生を放棄しているかのような状態なのに。それでも心臓はただただ動いている。僕は生きているんだ。何かに生かされているんだと感じたのがその時だった。


今思うとそれが生命意識なんだと思う。


そこからあらゆるものが流転し、僕のウツは抜けていった。

やる気に満ち、体は軽く、興味関心が湧いて、どんな困難にも立ち向おうという気概があった。

そうなると周りの環境も上手く回りだして、自分の人生を歩んでいける感覚があった。

僕は完全にうつ抜けしてむしろそのおかげで素晴らしい人生が開けたと思っていた。


しかしここからまた何度かうつの波に揉まれることになる。


Y