ヨンが出立してから1ヶ月が経とうとする頃。

 

彼が不在にしている・・・という事を覗けば今の所周りの様子は何も変わることも無く、同じ国で戦が起こっているという事に実感がない。

初めこそ「亭主元気で留守がいい~~~」と軽口を叩いてケラケラと笑っていたものの、それも数日しかもたなかった。

 

彼は強い。心配はいらないと思う反面、やはり命を凌ぐ戦場にいると思うと堪らなくなる。

気持ちを逃す為に、彼は遠くに出張に出かけているだけ・・・などと気持ちを騙そうにも無理がある。

言い知れぬ不安は想像以上に重くウンスの胸の中に蓄積していくのは、どうすることも出来なかった。

 

今の自分に出来る事は何かともう一度反芻しては、仕事と花嫁修業に励んではみるものの、気を抜くとヨンの安否ばかりが気になり集中することができない。

女官や宦官たちの立ち話に耳を傾けて見たり、チェ尚宮やチュンソクを見つけては、食い入るように状況を聞き出そうとしてみても、返ってくる言葉はいつも同じ。

 

「大丈夫です」

「元気にしておられます」

「文のない事はいいことだ」・・・・・・

 

何も情報がつかめない状況は、逆に重大な事を隠されているのではないか?と疑心暗鬼の沼に引きずられて行きそうだ。

 

「叔母様、あの人から何か言付けはありますか?無事ですか?怪我なんかしてませんよね?」

 

懲りもせず、自分の姿を見つける度に走り寄り必死に甥の状況を案ずるこの娘。

全てを話せるわけはなかろうに。もう少し腰を据え落ち着いて待てぬものかとも思うが、これほどまでに思いを寄せてくれることをまた、嬉しく思う。

ウンスにとっては初めての経験なのだ。

その心持ちも、教えてやらねば分からぬのだろうと悟り、今日はウンスと向き合う事に決めた。

 

「ウンス、少し話をしよう。さあ、そこにお座り」

 

と、自分の部屋に招き入れた。

 

「ウンス、屋敷を出てここでの暮らしには少しはなれたかい?侍医に任せっきりで、なかなかお前とゆっくり話すことが出来ずにすまなかったね」

 

「いえ・・・チャン先生には大変よくしていただいていますし、武女子のお姉さんたちも本当に気を使っていただいて、不自由はないです。でも・・・」

 

言いかけるウンスの言葉を、肩に手を置き一旦遮った。

 

「言いたいことはわかっておる。あいつのことであろう?」

 

無言で何度も頷くウンスに少しばかり苦笑い。

 

「ウンス、お前はこれからヨンの妻になるのであろう?違うのか?」

 

「いいえ!そのために私はここに・・・・」

 

「では聞くが、夫になる男は何者なのかはわかっているのだろうか。文官か?医者か?農民か?そのどれでもない。あいつの本分は武官だ。それも一個隊を纏め上げる隊長という立場にあるのだよ。誰よりも率先して人の盾になり、この国を、王を、民を守るのがあいつの仕事だ。今回の様に、出兵する度にこの様にお前が狼狽えてどうするのだ。妻には夫の不在にやらねばならぬ事は山ほどある。ましてやヨンはチェ家の当主ぞ。抱える使用人もいるのだ。その家族も・・・・時には迂達赤の世話もそれに付随してくるのだよ。当主が不在の間、それらを守るのは女主人になるお前の役目だ。もっと肝をしっかりと持ちなさい。そうでないと、周りが不安になる。お前が息災にしてこそ、ヨンは心おきなくその本領を発揮して働く事が出来るんだ。わかるか?」

 

ウンスは項垂れながら、小さく「はい」と答える。

 

「ウンス、お前の気持ちも分からにわけではないよ。天界と比べてここは何かと勝手が違うだろう。ましてや唯一の拠り所であるヨンは、命を懸けた戦に出ているんだ。このように当たり前に戦など無いところにいたのだろう?心配も、不安も、それは全てあいつを心から思ってくれている証拠。叔母としては嬉しいんだよ。だが、先ほど申したことを念頭に置いてもらいたい。わかるか?」

 

「はい・・・」

 

チェ尚宮は、優しい顔をウンスに向けた。

 

「そなたにしか出来ぬこともあるぞ?仮にあの子が怪我をして戻ったとしても、己自身の手でそれを直すことが出来る。まあ、そうは言っても心配はいらんよ。ああ見えても、あいつは腕が立つし、頭も回る。それに武運も持ち合わせているようだからの。更に、今のあいつは何が何でもここに帰ってくるだろうから・・・・」

 

じっと見つめるチェ尚宮に訳が分からぬとばかりに首をかしげるウンスを面白そうに見て笑った。

 

「今までのヨンは何処か生きる事に対して執着を持たないようなところがあった。だが、そなたと出会い変わったんだよ。そうだよウンス。お前の存在があの子をより強くしている。それに、此度は王から直々に人参を目の前にぶら提げられたそうだし」

 

「へ?人参ですか?それって「馬」ですよね?」

 

「王がヨンの背中を押したのさ。勝利と引き換えに何か欲しいものはないかとね。何を強請ったと思う?」

 

「さあ・・・あまりあの人がものを欲しがるとも思えませんが・・・・」

 

「いつものあいつなら、そうだろう。此度も最初こそは辞退したそうなんだが、最終的には強請った」

 

「あら、珍しい。何を願ったんですか?美味しい人参なんですかね?」

 

「それは極上の味がするだろう。・・・・あはは。気が付かんか?ヨンが願ったのは、そなたとの婚儀の許しだ」

 

「えっ?こ・こ・婚儀~~~~?」

 

「煩いぞウンス、全然淑女の嗜みが身についておらんではないか。そうだ、凱旋のあかつきには、自分の望む女子との婚姻をしたいということを願い出た。武官と言えど、ヨンは王の側近。王の許し無くば、勝手に婚姻は結べないんだよ。王は、ヨンの目の前に極上の人参をぶら提げて、欲しくば勝ってこいとはっぱをかけたのさ。そして王はそれを承諾してくださった。これでお前は晴れて、ヨンの許嫁となったから、一層、花嫁修業に精を出す様に。泣いている暇など無いぞ」

 

暫し、ウンス放心・・・・・

チェ尚宮は、どっこいしょと掛け声とともに席を立つと、ウンスの膝の上に一枚の文を置き、

返事を書くならば、今日中に自分のところまで持ってくるようにとだけ言って部屋を出て行った。

手にした文を開くと、そこには美しく整えられた見たことのある文字。

一番欲しかった、見たかったものが今、手の中にあり、持つ手が震えた。

習いたての漢字の中で、知っている文字を懸命に拾いながら読めば、

 

寝ているか

食べているか

元気か

 

そんなたわいのない言葉ばかり。

 

『本当に馬鹿なんだから・・・・ちゃんとやってるよ・・・・・

あなたこそ、どうなの?ちゃんとやってる?』

 

泣き笑いのような顔をしながら端から端まで丁寧に視線は文字を拾っていく。

文章の一番最後、その紙の端っこに書かれているマークを見つけると、愛おしそうにその一文字に指を滑らせた。

 

『ちゃんと覚えてくれてたんだ・・・・ぷっ本当に几帳面ね。左右しっかり対称なんだから』

 

目の前の文字が歪むのもそのままに、指は何度も一文字の上を撫でる。

 

『私もあなたを愛してるよ・・・・・チェ・ヨン・・・・・・』

 

 

離れ離れの間、交わされる短い文は内容もさして変わることはない。

それでも最後に書かれる二人の秘密は、絆をしっかりと繋ぎ止め、また明日への活力を生んでいた。

手元に重なって行く文の束を、胸に抱きしめていたのはお互いに知らない内緒の話。

 

 

「隊長、王宮より書状が届いております」

 

数通届く書状を片っ端から目を通し、一つだけ開けもせずに懐に仕舞い込むのを見ても知らぬふりをするのにも慣れたトルベ。

 

「軍議をするから、皆を集めよ!」

 

そこには甘い顔をする男は存在せず、いつも見慣れた武人がいるだけだ。

 

そして、今日も無事1日の陽が落ちる。

陽が落ちたとて、神経を常に張り戦況を見極めなければならぬのは日常だが、少しの合間をぬって体を休めることは必要な時間。

一時の休息には天幕の簡易ベッドの上に鎧を付けたまま寝転がり、胸にしまっていた文を取り出す。

大な切宝物の包みを解く様にゆっくり丁寧に開くと、笑顔がこぼれる。

目の前にはいつもと変わらぬ子供の手習いのような文字が飛び込んでくる。

書いてある内容は、己の書いているものとさして変わらぬ日常の様子。

それでも、その文字を見るだけで無駄な緊張がふと体から抜けて、全身が軽くなるのだ。

 

回数を重ねるうちに、上達の程のわかる文字。一文字ずつ、書き順をなぞるように指で追へば、愛おしさが増していく。

 

文の最後に記された秘密の文字は、二人だけの恋文。

 

だが、今回だけはそれだけではなく・・・・・・

 

「なっ/////ウ・ウンス!」

 

ベッドから飛び起き、真っ赤になった顔とけたたましく鳴る鼓動をどうしたものかと、その場で胡坐をかきながら落ち着きなく辺りを見回す。

 

「隊長、如何されましたか?」

 

外から衛兵から声を掛けられ、慌てて返答する。

 

「問題ないから気にするな。おい、絶対に入ってくるなよ」

 

動揺しまくりの返答にも関わらず外はそれっきり静かになったが、ヨンは外の様子を窺うように耳をそばだて大きく息を吐く。

改めてゆっくりと握り締めてしまった文を丁寧に伸ばしながら見つめた。

 

小さく書かれた秘密の文字。その端にかかる様に押された刻印は、見覚えのある薄桃色の・・・・

 

「くくくっあの方ときたら、こんなところにまさか口づけたのか・・・・・」

 

早くあなたにお会いしたい。そして、温かなこれに触れたいものだな。

 

そんな事を思いながら、ヨンはそっとキスマークに唇を重ねた。

文に顔を近づけると、仄かに薫るあの方の匂い。

それは幻想なのかもしれない。それでも、ヨンにいつもの何倍もの力が全身にみなぎって行くことに、『俺も大概に単細胞だ』と呟いた。

 

「隊長、そろそろお時間です」

 

「わかった。今行く」

 

ヨンは文の束を大切に布に包むと、胸の中に仕舞い込む。

 

今日も天女のご加護を・・・・・

 

祈りを捧げ天幕を開けると、外は抜けるような青い空と気持ちのいい風が頬を撫ぜて行った。