今日は深谷駅のお話。
7年前??初めて深谷駅を見たとき、あれ??
東京駅とそっくり~!!と思いました。
それもそのはず、調べてみたらこんな事が分りました。
東京駅のレンガは深谷のレンガだった??!
ミニ東京駅とも言われている深谷駅のこのデザインは、1996年の改築時に東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにつくられたものとの事。
実は、深谷駅は本物のレンガではないそう。
コンクリートにレンガ風のタイルを貼ることで東京駅のような見た目にしているそうです。
でも、そもそもなぜ、そこまでして東京駅のモチーフにこだわったのか。
理由は大正時代にまで遡ります。
深谷駅が東京駅に似ている理由。
それは、大正時代に建設された東京駅・丸の内口駅舎の建築時、深谷にある日本煉瓦製造で製造された煉瓦が、70キロ以上離れた東京駅まで鉄道輸送されて使われたということが事の始まり。
つまり東京駅のレンガは深谷市のレンガだったわけです。
なので、深谷市にはレンガでつくられた建物が非常に多いんです。
そして、この日本煉瓦製造の設立に携わっていた人こそ、埼玉県深谷市出身の、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一です。
ここでも出てくるのか、渋沢栄一!!
すごいな~
深谷が赤レンガの街として有名だったなんて知りませんでした。
1887年(明治20年)に日本で最初の機械式レンガ工場が、現在の深谷市上敷免(じょうしきめん)に建設されて
そこで製造された赤レンガは、信越本線の碓氷第三橋梁(通称、めがね橋)や旧東京駅など、近代日本の多くの赤レンガ建造物を支えているとのこと。
すごいぞ深谷。
深谷駅自体は、1996年に改修されていて現在のようなレンガ風の姿になったそう。
なぜ深谷からわざわざ輸出して都内で使用するほどの優れたものなのに、肝心の深谷駅がレンガでなく、レンガ風なのか。。
耐震性の問題などもありレンガではなくレンガ風タイルが使われているとの事だが。。修復修繕するのにお金がかかったりとか、そういうことかな。
都内とかは財源があるから、修繕も行えるけど。。的な感じなのかな。
でも掘り下げて調べてみると、まさかのまさか。
渋沢栄一とyonkaのつながりも発見。
1840年、豪農の家に生まれた渋沢栄一。
徳川慶喜に仕え、1867年、慶喜の弟・昭武がパリ万博に派遣されることになり、会計係・世話役として同行。
パリに滞在中、昭武はイタリアやオランダなど周辺各国を巡歴。渋沢もそれに同行し、ヨーロッパ諸国の文明や文化に大いに刺激を受けた。との事。
yonkaで取り扱っているお洋服もヨーロッパ中心のお洋服なので、日本の深谷でまさかのヨーロッパつながり♡ww
1860年代。今から160年くらい前のことなのに、その時代でもヨーロッパの文明や文化に刺激を受けていたんだな~と。そして、そのころに感銘を受けてヨーロッパの素晴らしさを日本にもってきていたyonkaの大先輩です。
そしてヨーロッパつながりだけではなく、私たちがベビー服・子供服を取り扱っているという事にも少し関連していて、富岡製糸場も手がけていたとのことで糸つながり♡w
フランスの技術を使いながら、良質な糸を作っていたとのこと。
ヨーロッパと高品質の糸と言ったら、勝手にyonkaと重ねてしまう。
国内に留まらず、現状に満足せず、海外の技術と日本の素材を組み合わせてより良い物を求めていた渋沢栄一。
格好いい生き方だなって心から思います。
一万円札で話題になる前からもっと注目されてても良かったのでは??
とすら感じます。
深谷市民の私も一万円札の話題で渋沢栄一がテレビ等で取り上げられるまで、正直名前も知りませんでした。
でも旦那は知ってたけど。
私が無知なだけか??w
こんなに素晴らしい人が生きた街、深谷。
ここで私がyonkaというヨーロッパから厳選したベビー服・子供服を輸入しているのも、何かの縁かも。とすら感じます。
そしてここでまた、なんの縁なのか、今yonkaの店舗がある建物。
ここも以前裁縫屋さんだったとの事で、お洋服の仕立てやお直しも行っていたとの事。
勝手に思っているだけかもしれませんが、yonkaはいろんな縁に支えられて、見えない力に背中を押してもらっているような気がしています。
これからも深谷から、高品質なベビー服・子供服をより多くの皆様にお届けしていきたいと思っています。
これからも深谷市のお子様、ママをもっともっと幸せに、もっともっと笑顔にしたい!
そんな大きな夢をもって日々がんばりますので、これからもよろしくお願いします。