私は女性として、子供を授かること
産む事、育てる事が自分の人生において
決定的に重要な意味を持つと思っている。

私には20歳、16歳、そして2歳に今日なる3人の娘がいる。

3人とも子育ての中で私をより成長させ
てくれた。
三女れなりの子育ては、喜びとかなしみと
成長のためのフルコースのようなものである。
おそらく私のような経験をした母親は
なかなかいないと思う。
れなりを妊娠中、どのように育てたら良いか深く考えた。
上の2人の時もその時の私のベストを尽くし、その時点で最高だと思っていた
シュタイナー教育をベースとして育てて来た。
20年がたち、さて今回はどのように
彼女を育てるか…
まず、私は真に人間らしく生きることを
望んでいる。娘たちにも、もちろんそう。
そして、子供は私のものでもなく、
神さまからいったんお預かりしたもの
と思っている。
幼い子供において、幼ければ幼いほど
周りの全てを模倣して、取り込む。
だから、周りに存在する大人の生きる姿勢がとても重要だ。
私はれなりを育てるのに1番ふさわしいと
言えるくらい、成長したのか…
それを問う中で、私は末娘のれなりを
妊娠中から、私より人間として徳を積み
成長したと思われる人にいったん預けることを考え始めた。
私の決断に近いケースは、例えば
江戸時代の乳母の制度かなぁと思う。
後継の子供は生まれて幼い頃、実父母より
乳母が養育にあたった。
それは、表向きは身分の高いものが子育てに当たるべきでない、となってるが
実は本来の意味があったそうだ。
乳母として選ばれた女性は、人間として徳を積み、大切な後継の幼子を育てるにふさわしい方で、そういう方を探すのに、実母は大変苦労したそうだ。
私は人としていかに生きるか共に模索し
成長し合う仲間がいる、幸せな環境に
いたので、この方ならば、と信頼する方を見つける事が出来た。
そして、実際二カ月を過ぎた頃その方に
れなりを預けることにした。
それはくるしい決断で、どれだけそれが子供の為だと思っても、別離のかなしみは
深く、ある期間私も周囲の色が消えて
モノクロになる事を実際に経験したくらいだった。
生きてる意味もないかな、死んだほうがましかな…そんな風に思う日々が続いた。
しかし、落ち込んでいる私を長女が支え
本来の姿を取り戻し、さぁ、最愛の幼子は
近くにいないけど、あの子が大きくなった
世界が少しでも良くなるように!とやるべき事をどんどんやっていくようになった。
思い返すと、命がけでやるってあんな風かなぁと思うようなやり方だった。
一瞬でも止まると、悲しみにおそわれるので、休まず動いた。サメはエラがないので、生きてる間中ずっと動き続けると言われるが、その時私もそんな生き方を身につけた。
何を必死でやったのか…
1人でも多くの方の人生が良くなるように、
自分も成長を遂げ、天からいただいた
1000人の縁の方と出会えるように、
そのために1番有効な本来の良い食を提供することをやり続けた。
レストランが2つに増えた。
天からいただいたと思う縁の方が次々現れ
私の事業を支えてくれるようになった。
お金ではなく、生き方を共有する仲間たちが私の事業の基盤をより強固なものにした。
そして、ここまでやりきったと思った時
それもまた、天の計らいのように
れなりは私の元に帰って来た。
そしてそれからは、抱っこにおんぶの
子育てと仕事の日々。
ずっしり重い彼女をだき続けるのは、きついのだけど、楽しすぎて可愛すぎて、全く気にならない。
ディディモスという、素敵なドイツの抱っこ紐に出会ったり、オムツなし育児を教えてもらったり、育児もとても楽しんでる。仕事も心配したより、ずっとこなせて、マルシェ売上は子連れで頑張るせいか、以前の倍以上に増えている。
小さなれなりちゃんは弁当売りを"まんまどーじょ!"と言い、休みの日なのに"まんまどーじょ行こ〜〜"とせがんたりする。
その子が2歳になります〜
おめでとう🎉という気持ちより
ありがとうの気持ちでいっぱい
私に子育てをする時間をくれる仲間たち
店を支えてくれて、ありがとう❗️
娘たち、私を育ててくれてありがとう❗️
今は亡き、わたしの最愛の師、私に
生き方を授けてくれてありがとうございます。