旦那様の里に越してきて3年目


さつきとめいと貫チャンを孫のようにかわいがってくれている


おばちゃんがいる


6月ぐらいから胃がおかしいと胃カメラを飲んでいた


たまたまさつきの予防接種で病院へ行ったらおばちゃんがいた


日に強くなる倦怠感


何もしたくないねんと訴える


嫌な感じだな


これ見て、といってお腹を見せてもらったらぽっこり出ている


元看護士のアロマの先生に言ったら


腹水じゃないかと


通っている病院では無理と言われて大学病院へ行った


義父と同じ病院で言われて同じパターン


どうしても納得がいかないのは


おばちゃんが聞いても先生が教えてくれないことだ


私がおばちゃんにきいても


おばちゃんは詳しいことが分からない



おばちゃんは、胃がんで肝臓に転移いているらしい


それだけ


手術もした


最近退院してきた


胃が五分の一しかなくて


食べてはいけないものばかりだ


昨日おばちゃんがつけてくれたらっきょをもらいに行った


おかゆばっかりあきたと


白身の魚だけたべてもいいねん


おつくりはあかん  煮ないとね


疲れた顔で言う


痛みがでたら言ってよ、と言うと傷が痛いという


痛み止めは???と聞いたら


飲んだらダメだって



あと、どれくらい???私には聞けない


治るんなら我慢してもいいよね


でも、そうじゃないなら


やりたいことやって食べたいもの食べなあかんよ


おばちゃんも知らないことだらけ


やっぱり腹水がたまっていたらしい


よくない


これから通院するの?


そう


どういう治療?


わからん



入院中お見舞いに行ったら


おばちゃんの名前が前のまんまだったから


分からずに帰ってきた


そしたら、たまたま車で出かけた時、細い道でタクシーとすれ違って


めいが「おばちゃんや!!!」と叫んだ


飛び降りてタクシーに走る

おばちゃんはタクシーの中でお腹をまくって


これみて!!!といった


でっかいガーゼがはってあって


辛そうだった


鞄も何もなくて


千円札だけ握りしめていた


おばちゃんのSOSや


そう感じた


なんとか帰ってきているけど


おばちゃんのこれからはどうなるんだろう



聞かなくちゃいけない


知らなくてはいけない


先生は、教えてくれなきゃいけない


そして、自分で納得のいく治療を選択しなくてはいけない



力になりたい



祖父や義父に何もできなかった自分


勉強したい


両親や義母のためだけではなくて


誰もが人間らしく旅立っていけるように


だってわたしも必ず死ぬんだから




















この夏

母が介護している祖母が尻もちをついておそらく圧迫骨折だろうと聞いた


だろう


というのは、往診に来てくださった先生がおっしゃったから


母は自宅で祖母の介護をしている


入院はさせない


祖父のようには死なせない


ものすごい執念だ


祖母は認知症で酸素の吸入もしなくてはいけない


今回のことでずいぶん弱ったようだ


食事も寝たまま口まで運んでいたらしい


もちろんデイサービスへも行けなくなった




お盆がやってきた


私は5人兄弟だからみな帰省してくると

それはそれはにぎやか


私より先に帰っていた妹は


祖母の弱り具合を冷静にみていた


理学療法士として病院に勤めていた妹は


脈をとったり


祖母の行動をみて的確に動く


病気で亡くなるひとではなくて


老衰で亡くなる方を何人も見送ってきた


これは、不穏といってなにか不安な時にこういう行動をとる


床ずれになりかかっている個所をみつけて


薬局でパットがないかと聞く


祖母は私から見てもかなり弱っているな

という感じだった


「ほなね、またね、おおきにありがとう」


さつきがベットのそばを通ったとき手を握った


私にも同じことをした


びっくりした


さつきも何回も祖母の様子を見ている


私も様子を見ていることしかできない


どうしたらこの不安そうな祖母を安心させることができるのか


どういう声をかければいいのか


また


母は今回のことですぐに腰を痛めてねこんでしまった


すぐによくなったが介護者がそんなことになってはえらいことだ



壮絶を極める自宅の介護


夜になるとすこぶる元気で昼はうとうとしっぱなし


もちろん母もそうなる


では母の生活は?母の時間は?



実は母は祖母の前にも1人自宅で介護している


身寄りのない、耳が聞こえなくてしゃべることもできなかった広一さんだ


祖母を引き取らなくては、いよいよ1人暮らしは危ないとなったときに


広一さんは旅だった


見事なタイミングだった


趣味の絵を描き、お風呂もトイレも自分で


ガンの末期で余命あとわずかだった広一さんを母はひきとった


広一さんの1人暮らしの生活が変わって


母のごはん、1人ではないという安心感


広一さんは生きた


残念なことに、めったに行かないデイサービス中に発作を起こして入院してしまうも


わずかな入院で旅立った


さつきと芽衣をつれてお見舞いに行ったら

指を一本たてて(あと一人、貫一郎は??)と聞いたんだろうと思う


「ひるねしてるよ」とジェスチャーすると


うんうんと笑っていた


入院させないという母の希望通りにはいかなかったけど


それはそれは見事だった


母も素晴らしかった


お別れは私たちだけ


ゆっくりとお別れができた


最高のお葬式だった




そして今祖母がいる


妹が言った

絶妙なタイミングでお盆が来た


孫やひ孫がわんさかやってきて


祖母はかなり刺激をうけたはずだ、と


そして、入院してたら今頃この世に祖母はいないだろう


入院して、流動食になって美味しくないから食べなくなって点滴になっていなくなっていただろう



なんと、祖母は今デイサービスに行き出した


半日だけど


祖母は幸せだ

自分が今年米寿をむかえるなんてさらさら思っていない

女学生のままだ

食べたいものを食べて

孫やらひ孫にも会えて

なんといっても

大切にされている


母はすごい


ときに泣いたり

怒ったり

さまざまな葛藤があるのを私も見て

正直自分にはできるのか・・・と思う


でも、私は

祖父や義父のようなお別れをしたくない


義母や両親とあんなお別れをしたくないし


させない


そのためには

知らなくてはいけない


勉強したい


そう思った







子育ても落ち着いてきて

さて

雇ってくれるところがあるならぼつぼつ仕事がしたい

と、考えてました


うっすら、仕事といっても専業主婦歴長いし

使い物になるんかいな・・・

とか考えつつ


大学卒業して私がした唯一の仕事は

中学校の保健体育教師


お世話になった先生に、そろそろ仕事したら???と紹介してもらいつつ

大丈夫かな・・・

という不安が大きかった


しかし、持ってる資格と言えば

中学校と高校の保健体育の教員免許

小学校の教員免許


未来ある子どもたちと関わる仕事だ


せっかく取らせてもらったんだから

それを使って働かなあかん

申し訳ない


という気持ちと同時に私の中で並行して流れている気持ち


人は死ぬということ


どう死んでいくのか


祖父と義父の死

祖母と母

おばちゃん


やっと、

私の気持ちが決まった


両極端


未来あるこれからの人間とかかわらせてもらう教師という仕事か


これからこの世とお別れして旅立っていく人間とかかわらせてもらう仕事か


私は後者を選んだ