毎月第2、第3金曜日は
保険医協会が主催する手話教室に参加しています。
この4月でもう、3年目。
なかなか、上達しました・・・・・・・・(かな?)
今月は改定業務などで参加者が少ない時期なので
あすは、お休み。
この手話を始めたきっかけは
医療従事者としてのひとつの技術として
取得しよう! という動機だったのですが
「手話通訳士」として協会に登録して認可されないと
手話通訳しちゃいけないんですよ。
それを知ったのは去年の10月頃。
アボーン(´・ェ・`) ま、マジでつか・・・・・・??
理由は手話通訳というのはさまざまな経験がないと
難しいもので
医療過誤になった場合の
(誤った手話で患者様になにか重篤なことが起こった場合)
責任問題があるからです。
知っている知識で安易に対応してしまった場合
治療している主治医や医療機関に迷惑をかけることに
なってしまうからです。
なのに、手話教室のテキストには
① 受付での手話
② 診察室での手話
③ お薬の説明での手話
④ その他、医療用語の手集
なんて レッスンがあって
私は てっきり 聴覚障害の患者様がこられたら
バリバリできるな~と、思っていたのです。
あれれ。
ま、このままがんばって続けて
いっそのこと 「 手話ボランティアを目指すか 」
な、つもりで やってみようかな~と思っています^^。
手話のボランティア活動や通訳士になるためには
正確な知識を要しているかの試験もありますし
認定をもらうための細かなカリキュラムも決められており
万が一の場合は所属する団体が責任をフォローしてくれます。
特に医療現場では
患者様の「 主訴 」を把握し
ドクターからの 「 診断 ・指示 」を
正確に伝えなくてはいけないのですから
単語並べてどうにかなる語学とは
わけが違うんですよね。
「 文章にすりゃあいいじゃん 」って思うでしょ?
ですが、聴覚障害の方にお話をうかがってみると
案外、
筆談は理解しにくい、んだそうです。
先天的に聴覚に障害がある方の場合は特に
口語独特のいいまわしが理解できないので
(言葉と言葉の間の”間”とか、言葉を濁す微妙なニュアンス)
耳の聞こえる私たちが理解するような形で
筆談の文章を100%理解しているとは限らないそうなんです。
すごく、説明しにくいのですが 例をだすと
「 このお薬を飲んだことはありますか 」 と書くとします。
すると
「 このお薬をのんだことはありますか? 」 という
問いなのか、
「 そうですか、このお薬をのんだことがありますか~、あるんですね 」
という 確認で書いているのか、と
見る人によって理解の仕方が違うようなのです。
まして、顔の表情は筆談のとき伺えないわけですから
いきなり文章を突きつけられても、「?」となるのも
無理はないですよね?
全部が全部 愛想のよいドクターとは限らないし。
それで、薬の服用の仕方を誤って理解したり
聴覚障害者の方も、迷惑をかけないようにと
疑問があっても、我慢して診療を終えることが
多々あるそうなのです。
講師の先生は実際医療機関でのさまざまな苦労や
トラブルも経験されたことのある聴覚障害をお持ちの方で
時にはつらい聴覚障害者の歴史を 語ってくださいます。
広島に原爆が落ちたとき。
阪神淡路大震災のとき。
「 聞こえない 」ことがどんなに恐ろしく
悲しい事か、 皆さん想像がつきますか?
生きていくうえで
喜びや悲しみ、痛み、いろんなことを経験し
学んでいくからこそ
人を助けたり、思いやったりできる。
「 手話 」 という小さなきっかけから
人 として生まれて、生きていくことの深さを
また、学んでいくんだな、って想います・・・・・。