今日は朝から暖かい雨の降る柔らかな一日でした。
前から行ってみたかった カフェ ルージュへ行ってきました。
かなりボリュームのあるランチなのに
コストパフォーマンスは大注目価格。
( ご馳走になったので、偉そうには言えません・・・・ (゚Д゚;) )
いつもココは満杯で何度も見送ってきたのですが
今日は、すんなり。
いつもはワイワイ・ガヤガヤなお店らしいのだけれど
こういう、静かな中でお食事ができたのも
雨のおかげかな。
まるで、時間が止まったみたいに
ゆったり お食事ができました ♪
ところで。
「 食事 」は 人間の3大欲のひとつですが、
その中でも、これほど、共にする相手によって
後の満足感が違うと感じるのは、私だけ?
これを、友人に話したところ、
「 え~、性欲じゃあないの?? 」 なんていわれたけれど
「 性欲 」って、その人を愛していたら
それだけで満足するものだったり、
カバーできる余地があるものじゃないのかなあ。
どんな後味でも、うやむやにできるというか(笑)
身体から入る関係が基本の人には
分かってもらえないかもしれないけれど、
「 食事 」って
たとえ自分が『 おいしい 』と思っても
相手も『 おいしい 』と思わなければ、
どんなにお高くて、価値のあるお店の料理だったとしても
その、一緒に食事をしていた時間は
とっても寂しいものだと思う。
一緒に食事をしていて
楽しい会話があれば、楽しく食事ができる。
お互いの料理をシェアしたりするのも
お互いの いいところを分かち合うみたいで
素敵な感じがする。
たとえ、会話がなくても
一緒に向き合うだけで
ワンプレートのランチも
贅沢に、口に運べる。
食事は、共にする相手の表情を見ながら
食べるわけだし、
どんなに安い定食だったとしても、
そこでの 「 会話 」とか、「 時間 」は
お会計に関係ないし。
シェフのテリトリーから手放された後は
食べる自分が
最後に付ける、調味料みたいなもの。
料理を完成させるのは、
運ばれてきたテーブルの上で、がいい。
有名で贅沢なのも、食べたいけれど、
一緒に おいしい時間も 感じられるような食事がいいなあ。
そういえば、おいしくご飯を一緒に食べられない人とは
お付き合いも 長続きしなかった気がするし、
無理して付き合うようなお友達とは
ランチも早々に引き上げてたっけ。
あらためて、ふと考えると
私の周りには、一緒に楽しくお食事をしてくれる
友人や知人がたくさんいるなって、とても嬉しくなる。
梅がおわり、桜のつぼみが膨らむこの時期に
忘れられない、「 食事 」をしたこと、今でも思い出すんです。
お互い仕事が終わって
立ち寄ったコンビニで ちょっと 高めの 和食お弁当を2つ。
いそがしくて、時間もない二人だったから
そのまま、彼の車の中で食べたっけ。
久しぶりに会うのに、彼は
「 こんな夕飯でごめんね。 」って言ってたけれど
私はうれしかったなあ。
駐車場のライトに集まる小さな虫が
ふあふあ 舞い上がり
フロントガラスについた雨粒は
月明かりにキラキラ 反射して
まるで、私たちは、車ごと宇宙に 放りこまれたように
時間が 止まっていた感じがした・・・。
あのとき、食べた、コンビニ弁当が
今まで食べた 何の食事よりも
一番、おいしかったと 今でも 想いだすのよね。