「親子咄」 その27
 
(19)寛延・宝暦の頃ならん。主水町御屋敷に御成有て町々の踊或ハ子供角力
      など上覧有。又稲荷の社ありて町々より幟を奉り、初午には踊ねり物上
      覧あり。森氏断絶の後はやミたり。初午に三種一荷奉納する事ハ十四、
      五年以前迄もありし。稲荷の社は四、五年以前大善院へ下されし也。
 
<超訳>
 
(19)寛延・宝暦(1748~1764)の頃であった。主水町(門東町)の上杉分家
      上杉駿河守のお屋敷に殿様が来られて、踊りや子供の相撲などをご覧に
      なった。
 
       また、お稲荷さん(宝暦七年(1757)に主水町御屋敷の土手に寄進し
      た)の社(やしろ)があり、町々から幟(のぼり)を奉納し、ねり歩く
      踊屋台をご覧になった。
 
       森氏(上杉重定代の近習頭:森平右衛門宝暦13年(1763)竹俣当綱に
      誅殺された)断絶後は行われなくなった。初午(2月の初の午の日)三
      種一荷(三種の品と酒樽2個か?)を奉納することは十四・五年前まで
      続いていた。稲荷の社は四・五年前に大善院に移管された。