甘糟継成 その7
 
  2 『鷹山公偉蹟録』を著した歴史家・甘糟継成
 
・藩校興譲館で優秀な成績をおさめ、諸生(しょせい)、助読、典籍(てんせ
  き:図書館長)、御記録頭取に昇進
 
 天保12年(1841)、10歳となった継成は藩校興譲館に通学を始めた。幼少期
から読書や文章に才を示し、神童と称された継成は、興譲館の試業(試験)で
も優秀な成績をおさめ褒賞を受けた。
 
 嘉永元年(1848)に17歳で甘糟家を家督、安政元年(1854)からは上杉鷹山
の言行・業績をまとめた「鷹山公偉蹟録」の編輯を開始。26歳となった同4年
には興譲館の諸生(3年間寄宿し学業、手当支給)に選ばれ、翌年には仮助
読、翌々年には友于堂(ゆううどう)助読に抜擢され、文久2年(1862)には
興譲館の典籍(図書館長)に昇進した。更に学識・文才が認められ、慶応元年
(1865)には新設の御記録頭取・奥取次次席に任命された。頭取として藩の秘
 書を自由に見られる立場となり、「本藩新史」、「探史月表」(上杉文書
1438)、「西洋通紀」などの歴史書を編纂した。
・鷹山の言行と業績まとめた『鷹山公偉蹟録』
 
 文久2年(1862)3月、9年の歳月をかけ「鷹山公偉蹟録」の稿本が完成、6月
には清書本21巻が完成した。唐の太宗の政治に関する言行を記録した『貞観政
要』に倣い、御年譜・政教編・任賢編・納諌編・恭倹編・礼敬編・仁恕編・孝
友編・慈訓縮・崇学編・誠信編・継述編からなる。明治4年(1871)の廃藩置
県に際し、長男の廿糟鷲郎から亡父編輯の「鷹山公偉蹟録」が上杉茂憲に献上
された。明治11年、明治天皇がご覧になりたいと上杉家に対し献上依頼があ
り、再度甘糟家から21巻が上杉家に献上、清書したものを上杉家から宮内庁に
届けられた。上杉家は銀盃三組を賜り、そのお礼を鷲郎に伝えている。
 
 なお、書籍として刊行されたのは昭和9年(1934)のことで、地元有志によ
る鷹山公偉蹟録刊行会によって、米沢で印刷出版された。数多くの史料を基に
甘糟が編輯した『鷹山公偉蹟録』は、現在でも鷹山研究の基礎資料として、鷹
山を紹介する本の種本として利用され続けている。