米沢城の本丸をなんとか模型で再現したい。

で、米沢城の平面図を眺めている。

 

松岬城堞図(ちょうず)享和二年(1802)(米沢市上杉博物館蔵)

の中で、読めそうな大きさの文字を拾ってみた。

 

【原文】その1
 
【翻刻】 誤字誤読はご容赦!


元和三年迄、追手ハ子之方にして、搦手は
卯之方と言いて、二之郭南御殿ニ御住居、
北御殿ハ、奥御殿にして四ツ辻大納言殿之
御姫御住居。慶長九年五月五日、定勝公
此処にてご誕生。寛永元年正月初入部迄、
二之丸御住居、同月十八日御釿立ニ而、御本城
御座之間其外迄御普請御企、同年八月十日
御成就。同十四日新殿江被為移、此時?続而
本城御住居となる也。

 

【超現代語訳】 ・・・誤読誤訳はご容赦ねがいます。

 

元和三年(1617)まで、大手門(正門)は子の方角(北)で搦め手(裏門)
は卯の方角(東)という。二ノ丸の南御殿に住まわれ、
来た御殿は大奥であり、四辻大納言様の御姫様(景勝公の側室)
がお住まいになった。慶長九年(1604)五月五日、定勝公は
ここで誕生された。寛永元年(1624)正月初入部迄、
二ノ丸に住まわれた。同月十八日釿立てで、御本城の
御座の間、其の他まで普請設計され、同年八月十日
完成した。同十四日に新殿へ移動されて、この時から続けて
本城に居住成された。

 

1617年までは、正門は北向きだったとありますね。

何かを見つけるとうれしいですね。