(その3)長崎駅⇒博多駅

 

 さて長崎駅、降りてみてびっくり!以前の鹿児島線、門司港駅同様の終着駅のイメージが全くない。

 改札を出てまたびっくり!右横の駅西口には大きな建物が建設中。左横に建設中の新幹線駅下の暗い通路を抜けると、市電の電停がはるか向こうに見えた。

 

(建設中の新幹線長崎駅)

 

 駅は150mほど西に移動していた。市電に向かって歩く中、昔の駅の残骸を発見しなぜかほっとした。

(旧長崎駅の残骸)

 

(市電乗り場へ向かう途中、歩行者用デッキから振り返った旧長崎駅ビルと長崎のシンボル稲佐山)

 

 折り返しまで1時間半あるので、カミさんの希望にそって市電で「新地中華街」まで出かけた。久しぶりの長崎市電(路面電車)は、ICカードが使え、それに130円というリーズナブル運賃がGOOD!

いただいた「ちゃんぽん」はそれ相応の値段はしたが、さすがのお味であった。

 

 

(相当久しぶりの新地中華街)

 

(江山楼のちゃんぽん)

 

 すぐにとんぼ返りして長崎駅へ戻る。

 そして再び長崎駅。切り欠けホーム3番線から15:32発、市布経由肥前山口行817系2両編成に乗車。ほぼ満席になる。

 

 浦上駅を出て旧線を左に離すと、すぐに6173mもある長崎トンネルに入る。旧線と違って電車かつ直線ルートのためスピードが速い。トンネルを出たところが山の中の現川(うつつがわ)駅。ここで10分ほど停車する。相対式ホーム2面2線と、中央に通過線1線を持つ。駅間が長いので、多くの列車が行き違いと通過待ちを同時に行うためであろう。前回来た時も10分以上停まった記憶がある。

 肥前古賀、市布と過ぎて、先ほどの喜々津駅に着いた。新線ができたのが昭和47年。半島の真ん中を直線的に通るため、スピードは早いもののトンネルばかりで、旧線のような眺望は全くない。

 

 さて、諫早駅を出て、東諌早、肥前長田を過ぎると、右に雲仙普賢岳が見えてくる。小江、湯江と乗客が多数降りて電車はガラガラになった。有明海がすぐ横に広がる。

 普賢岳の手前に、全国的に有名となった諫早湾干拓堤防事業の水門が見えた。その昔その堤防道路を車で走った記憶がよみがえる。ふと、カミさんが叫んだ「何あれ?」下を走る国道207号にメロンやスイカなどのオブジェが見えた。思い出した!「あれ、バス停やん!」。(写真は撮り損ねました)

 

(諫早湾干拓事業の水門を遠望する)

 

 長里駅を過ぎて、海のすぐ横の小長井駅でまた停まる。

(小長井駅ホームからの景色、雲仙が見える)

 

 有明海を挟んだ対岸に、大牟田、荒尾の町並みが見える。

 

 

 県境を越えた肥前大浦駅ホームには、太良町名産の「竹崎カニ」が描かれた看板があった。多良駅手前の信号場でまた10分停まる。入り江を半周するような地形で、すぐ下の国道沿いにはいけす料理の店があった。対向してきた特急かもめが後方に去っていく様子までも見えた。

 

 多良駅では高校生が多数乗車してきて座席が埋まった。名所案内に「多良岳」とあった。そういえばこの山も登ったことがある。多良駅を出ると、右手に以前カニを頂戴した「道の駅太良」が見えた。

(道の駅太良)

 

 肥前飯田、肥前七浦を過ぎ、肥前浜駅手前から田んぼが広がる平地に出て、電車はスピードを上げる。ちょっと街中の雰囲気になって肥前鹿島駅に着いた。祐徳稲荷神社の最寄り駅のためか、ホームが朱色に塗られている。当駅、次の肥前竜王駅で多くの高校生が降りて行った。その後電車は広い平野の田んぼの中を疾走する。

 肥前白石駅で再び数多くの高校生が乗車してきて、車内は騒がしくなった。地方の鉄道利用客の多くは高校生なのだ。そして17:56肥前山口駅に戻ってきた。ぐるっと一周8時間余りかかった。

 

 実は諫早から肥前山口まで走る直通列車(特急列車を除く)は一日に7本しかない。海の横を崖に沿って走る風光明媚な区間ではあるが沿線人口が少ないのであろう。この単線区間では、対向列車だけでなく、同一方向の特急にも追い越されるため、とにかく駅を含め、信号場での待ち時間がやたら長い、おそらく全部で30分以上は停まっていたような気がする。これも新幹線ができるまであと1年ちょっとの辛抱であろう。

 ふと気づくと、肥前大浦駅から肥前山口まで、多良駅を除くとすべての駅名に「肥前」がついている。旧国名がこれだけ続く区間もちょっと珍しいのではないだろうか。

 

 そうそう!思い出した。当時この付近の電化区間では、旧電車寝台583系を改造した715系電車が普通列車として運用されていた。出入り口が2か所でかつ折戸で狭いため数年で廃車となったが、増設された運転台が、六角形の特徴的な断面であって「食パン列車」とも言われ非常に面白い車両であった。

 

 ここから1分乗換で往路同様の415系100番台博多行に乗車する。佐賀駅では立ち客が多数出る夕方のラッシュをみて、博多駅に19:43到着した。所要時間11:32、移動距離359kmの乗り鉄であった。さすがに疲れた!

 

【 まとめ 】

 新幹線停車駅は、信じられないほどの大変貌を遂げていた。新幹線は街を丸ごと変えてしまう力を持っているのを改めて実感した。来年の開通時はどんなになるのだろうかという期待と共に、部分開通のため乗り継ぎになること加え、ラッシュ時を見ていないので何とも言えないが、さほど多くない乗降客数を見ていると、ここまで立派な施設が、今この時代必要なのかという疑問が頭をもたげた。

 確かに半島を走る長崎本線はカーブが多く、スピードアップには限界がある。しかし喜々津―浦上間の新線のように、まっすぐにトンネル掘って、秋田や山形のようなミニ新幹線を走らせれば事足りたような気もする。博多までの距離が現状150km、短絡すれば130㎞ぐらいと近いがゆえに、フル規格まで作る必要があったのだろうか。

 

 また長崎駅在来線ホーム。1年後普通列車しか発着しなくなるにもかかわらず、長大編成に対応する長いホームが新設されていた。現在博多⇔長崎間を結ぶ特急かもめは、「リレーかもめ」として、博多⇔武雄温泉間を走るのみとなり、もう当駅には入線しないにもかかわらずだ。1年間ぐらい仮設ホームでの対応で十分だったと思うが皆さんはいかに。

 

 ただ、「唐津線・・・のブログ」で書いた通り、作ったものは仕方ないので、早く新鳥栖駅と結んで地域社会の発展に大いに役立ててほしいと願うのみである。

 

 しかし、そういう雑念を除くと、このルートはいたるところですぐ近くに海が見えて、なかなか清々しいおすすめルートであった。

 

(完)