(その3)

 

 最後は勝田線です。

 

 勝田線(かつたせん)は、かつて福岡県福岡市博多区の吉塚駅と、同県糟屋郡宇美町の筑前勝田駅とを結んでいた13.8 kmの路線で、吉塚・ 御手洗・上亀山・志免・下宇美・宇美・筑前勝田の7駅があった。


 元は沿線の糟屋炭田から産出される石炭輸送、および宇美八幡宮参詣客の輸送のため、「筑前参宮鉄道」が敷設した路線であり、同線の宇美駅は「博多湾鉄道」が建設した現在のJR香椎線宇美駅とは約100 mほど離れており、廃止まで駅は統合されることはなかった(時刻表にも注意書きがあった)

(国鉄監修、交通公社の時刻表82’1月号より)

 

 1963年(昭和38年)に同炭鉱が閉山すると急速に衰退。その後、沿線は福岡市のベッドタウンとして宅地開発が進み、沿線人口は増加していたにもかかわらず、頻繁運行をする西鉄バスに顧客を取られて、勝田線の輸送量は回復せず、国鉄から廃線を提案されても沿線住民に大きな廃止反対運動が起こることもなく廃線に至った。

 

 勝田線は、現在の篠栗線柚須駅辺りまでは完全に並行していた。その区間は現在でも路盤がほぼそのまま残っている。跡地は遊歩道や、公園として整備されているところが多く、特に志免駅、下宇美駅はホームまでが当時の痕跡を残している。

 さて、黒木駅から吉塚駅に戻ってきた頃は日も暮れ、何とか勝田線の最終列車には間に合った。

 

(当時の3番ホームから鹿児島線方向を見ると、485系特急列車が見える)

 

 

 

 夜間のため、車窓は望めないものの、最終列車のため車内は異様な熱気に包まれていた。20分強で終点勝田駅に到着。駅は押すな押すなの大盛況であった。そうした中、21時過ぎ、折り返しの回送列車が長い警笛を響かせて筑前勝田駅を出発していった。見送る人々から「サヨナラ、ありがとう」の声が巻き起こった。

 

 

 

 

(筑前勝田駅にて、及び購入した硬券の切符)

 

 一方、廃止を免れた香椎線は、民営化後、篠栗線との接続駅を設け利便性向上を図り、沿線の発展を後押しするとともに、乗客数・運賃収入を大きく伸ばし黒字化を達成した。
 勝田線は、廃止当時は並行する県道68号の交通渋滞はさほどひどくなく、バスの利便性に顧客は流れたのではあるが、現在は福岡都市圏でも渋滞名所と化している。もし廃止してなかったら絶対に黒字化したであろう。人口密集地を走る路線で、いとも簡単に廃止されたのは、全国でも勝田線だけだろうと、現在の福岡都市圏の発展を考えると非常に残念に思う。

 

(wikipedhiaを参考としました)

(35年前の廃線前日乗り鉄記 完)