たまたま昔の写真を整理していたら、懐かしい写真が出てきました。

19821115日のダイヤ改正の時だったと思いますが、「寝台特急金星号」のラストランに乗るためだけに、「名古屋とんぼ返り」を決行しました。その記録です。それではどうぞ!

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仕事が終わってから福岡空港へ、名古屋空港行の飛行機に乗ります。定刻に着いた名古屋空港からバスで名古屋駅へ、大時計がまぶしい旧名古屋駅に、発車時間前の余裕の到着でした。

駅の「おしらせ」に「さよなら金星号」の文字が見えます。昔のパタパタいう発車時刻表示器が懐かしいですね。

 

 

 ホームでは撮り鉄さんがたくさんいて、写真を撮りまくっていましたが、私は乗り鉄なので基本あまり撮りません。しかし、この日はせっかく名古屋まで来たんやからと、何枚かとったのがこれらの写真です。

入線してきました。「ピッピー」という駅員さんの笛が鳴りまくります。

    

 

      (写真は基本下手なのでご了承ください)

 

途中営業してない食堂車で缶ビールを飲んでいると、私みたいな乗り鉄さんが集まってきました。よもやま話で盛り上がっていると、車掌さんがちょうど来られたので一緒に記念写真を撮りました。

 

この車両583系電車寝台の下段は、昼間は2人掛けの幅があるため、A寝台よりも幅広く、窓も独り占めできるので非常にゆったりと快適です。しかし、中段は座ると頭が当たるほど高さがないし、外を覗くにも小さな小窓があるだけ。寝台料金が500円の差でここまで差があるかというほどの差でした。ただ、一番上は屋根がまあるくなっている関係で意外に広く感じました。客車列車と違ってモーターの音が響くので、基本あまり好きな車両ではなかったですが、電車だけにとにかくスピーディーです。当時博多駅からは新大阪行の「明星」、京都行の「なは」なんかもありました。

 

昼行特急列車としても、夜行寝台特急列車としても使えるこの581系、583系は、国鉄が作った世界に誇る最高傑作だと思いますが、新幹線の延伸と、昼間利用の際のボックスシートの不評、さらに料金値上げで活躍の場が徐々に減っているときでした。

 

博多着が1011で、なんと仕事場を出て16時間ぐらいのとんぼ返りの旅でした。

 

 

実はこの企画、当時付き合っていた彼女(今の嫁さん)から、「そんなんに何万円も使うとか気が知れん」とののしられました。また大学卒業後、博多で就職してからは東京に出向くこともなくなったので、寝台特急に乗る機会もぐっと減りましたが、未だ乗り鉄は健在です。

ちなみに上り名古屋行は、博多発が1847で、当時帰宅時によく乗った博多発1838の門司港行普通電車が、3つ目の香椎で、帰宅ラッシュの中、「金星」と東京行「みずほ」の両方の通過待ちのため、10分ぐらい停まってたのが、「金星」の廃止で待ち時間が半分になったことだけはよかったと思っていました。

 

(完)