新聞記者から菓子職人に
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退部そして自由の身に

横浜の喫茶店で同僚とこれからの事を話しあった結果、私は大学を辞める覚悟で田舎に帰った。

帰った翌日、先輩からの電話が・・・。

「帰ってこい。みんな待ってるから」とやさしいお言葉。


しかし自分の決意は堅く、大学は辞めなかったが部に戻ることはなかった。

学内で先輩と会うのが嫌で、半年くらい大学にいかなかったが、

やはり自分の気持ちの中に「なんて弱い人間なんだ」「根性なし」といった思いが

30年過ぎた今でも残っている。


上下関係・・・たしかに理不尽なことが数多くある。しかし、目上を敬う気持ち、先輩に対する礼儀、敬語の使い方など

縦社会だからこそ学べたことも数多くある。


封建的な生活から解放され、”自由”の身になったのだが、今思うとあの時「少し辛抱していれば」と

ちょっと後悔している。


高校の修学旅行で京都のあるお寺の住職がこんな事を言っていた。

「過去、どんなに悔やんだって過ぎてしまったことはもう取り戻せない」

「未来、おまえら明日交通事故で死ぬかもしれない」

「大事なのは今、今現在のおまえらなんだ」

「今現在を精一杯生きなければ、未来につながっていかないんだ」


1分1秒先のことなんて誰にもわからない。

どんなに苦しくても今現在を精一杯生きてほしい。



脱走

苦しい、苦しい1年生をなんとか乗り越え、「平民」の2年生に”昇格”。

雑用がなくなり、多少楽になったが、2年生には2年生の苦しみがあった。


1年生がヘマをすると「おまえらの指導が悪い」と3年生に制裁のパンチを浴びる。

3年生と1年生の間にはさまれ、いわば中間管理職のような辛い立場。


2年の秋、4年生も部を去り、「天皇」の座まであと1ヶ月と迫った時、ちょっとヘマをしてしまった。

翌日、半殺しの目にあうのは間違いない。

恐怖が頭の中をぐるぐるかけまわり、「とにかくこの場から逃げねば」と同僚と寮から脱走。

あてもなく電車を乗り継ぎ、横浜にたどり着いた。


続きはまた後で・・・。

恐怖は続くよどこまでも

入部1ヶ月で”死”の恐怖を味わったが、それはこの後続く恐怖の始まりだった。

1年生部員はだれか一人がヘマをすると、全体責任となり、部室に招集がかかり2時間以上の正座そして鉄拳が顔面に飛んでくる。

寮生活の部員はさらに恐怖で、練習が終わった後に三助さん(フロにはいっている先輩の背中を洗い流したりする役目)や酒盛りの準備、マッサージなど先輩の身のまわりの世話に追われる。

やっと解放され、床につきゆっくり寝れると思ったら大間違い。

午前3時ごろ外で飲んできた先輩がご帰還。一升瓶を片手に各部屋を回って来る。

熟睡している私の口に一升瓶を突っ込み、「飲めー」。


夜もゆっくり寝られない。

やすらぎの場は授業中の机。よだれを垂らしながら爆睡する日々。

1年生はつらい。でもこれも修行のひとつ。何事も辛抱、辛抱。