たかだか紙切れ一枚の有無・・・なんだろうか?
恋人同士であろうが、夫婦であろうが、男女の仲で「この人でいいのかなぁ」という思いが頭をかすめることはよくあることだ。
漠然と心の中で呪文のようにつぶやいているうちはいいが、一旦ことばとして表明してしまったら、別れの足音はひっそりと忍び寄ってくる。
別れとは、想いの深さや積み重ねた情念に比例して、つらくせつなく、そして哀しい。
そうであれば、恋人同士であっても、夫婦であっても違いはないはず。
しかし、この紙切れの有無は別れ方を二分することになる。
恋人同士も夫婦も、始まりは二人して同じ気持ちだった。
いや、同じ気持ちだからこそ、始まった。
深い愛情を感じながら恋人同士になっていくとは限らないが、少なくともお互いの同意のもとで始まる恋愛。
そして、人生を共に生きていこうと二人して決意を固めてる結婚。
別れも二人が同時にさめてくれれば、何の問題もないが、多くはどちらか片方が先にさめる。
恋人同士であれば、どちらかが別れたいと言い出したら、別れなければいけない。
想いが残っている者が置いてきぼりにされても別れは成立してしまう。
なぜなら、心は自由だから。
ただそれだけの理由で充分なのだ。
夫婦であれば、どちらかが別れたいと言っても、別れられない。
別れることでさえも、お互い同意しなくては別れられないのだ。
残される片方が同じく別れたいと思えないにしても、表面的に了解しなくては別れは成立しない。
なぜなら、心は自由だからこそ、契約という制約をつけたのだから。
心には足かせをはめられないから紙切れが必要なのだ。
いつも緊張感と隣あわせで恋人同士でいるか、あるいは、離れた気持ちをしのぎ夫婦でいるか。
どちらも一長一短の選択だ。