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人生を心から楽しむためのライフハックブログ~カッコイイおじリーガルを目指して~

人生に必要な「人間関係」「仕事」「健康」の3つを中心に、今まで学習してきた情報や経験・知識などを備忘録のような感じで綴っていくブログです。

 

初めてのまともな投稿で、いきなりこんなテーマになってしまったのは、

 

リチャード・ドーキンス氏の『神は妄想であるー宗教との決別』を読んでしまったからであって、

 

宗教や神秘系がこのブログのメーンテーマではないことを予め周知したい。

 

ほんとにタイミングなんですよ(笑)

 

ちなみに500ページ以上の分厚い本だったので、読むのが大変だった。

 

この本の著者であるリチャード・ドーキンス氏は、ゴリゴリの無神論者で、当書では、キリスト教をはじめとした一神教を徹底的に批判している。

 

さらにドーキンス氏は、「自然淘汰による人間の進化」を支持するダーウィン論者であるため、様々な科学的文献や宗教的逸話などを持ちだし、宗教というものがいかに矛盾に満ち溢れているものかを痛快に説いている。

 

この本は特定の宗教を信心深く信仰することになじみの薄い日本人からすれば、そこまで文献やなにやらを持ちだしてまで批判しなくても、ざっと読んで、

 

「そうだよねー」

 

の一言で済んでしまいそうな内容ではある。

 

しかし一方で、そこまでしないと読者の心に響かない欧米諸国の文化における宗教の根深さみたいなものも感じたのが正直なところだ。

 

だからといって、この本を読んだ上で、疑問に感じたこともなかったわけではない。

 

今回は、その疑問に残った部分を淡々と述べていきたい。

 

リチャード・ドーキンス氏とは?

著者であるリチャード・ドーキンス氏とは何者であろうか?

 

ウィキペディアによれば、ドーキンス氏はイギリスの進化生物学、行動動物学者とのこと。

 

氏は学者であると同時に無神論者で、過去にも宗教を批判する著作が多数あるが、当書の『神は妄想である-宗教との決別』は2006年に発売されてから英語版は150万冊以上を売り上げ、31カ国で翻訳されている超ベストセラーだ。

 

今日の氏の最も有名な著作となっている。

 

神の存在を否定する不完全性定理

 

神の存在を否定している大きな根拠のひとつとして「ゲーテルの不完全性定理」がある。

 

数学者のクルト・ゲーテルが1930年に証明した。この証明により、「世の中に絶対はない」ということが明らかになった。

 

世の中に絶対がないということは、「絶対的な存在もいない」ということであり、

 

この証明自体が、直接神を否定したわけではないが、「世の中に絶対的な存在はいない」という証明がされたことにより、全知全能の神の存在が否定されることになったわけだ。

 

アブラハム教と呼ばれるユダヤ教やキリスト教、イスラム教の一神教は各々が信仰する神を全知全能の絶対的な存在として崇めている。

 

ゲーテルの不完全性定理により、全知全能の神を信仰する人にとって、科学が進歩したこの社会で生きるに当たり、大きな矛盾となって各々に立ちはだかっているのではないだろうか?


ダーウィン主義に基づくドーキンス氏の無神論とは?

 

「ダーウィンの進化論」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

 

チャールズ・ロバート・ダーウィンという19世紀に活躍したイギリス人の自然科学者が提唱した仮説で、ダーウィンの進化論にもいくつかの仮説があるのだが、

 

誤解を恐れずに言うと

 

「生物は生き残るために取捨選択をしてきた結果、現在の生物に進化、もしくは最適化された」

 

というすごく乱暴なまとめ方だが、私はそのように捉えている。

 

ドーキンス氏は、冒頭で述べたとおり、ダーウィン主義者であるため、上記の「ダーウィンの進化論」を支持している学者のひとりだ。

 

上記の仮説が正しいとするのであれば、生物は厳しい自然の中、生き残るために様々な試行錯誤を繰り返し、多くの同胞が死んでいく中、厳しい環境になんとか適合できたごく少数の生物が生き残り、それらの子孫である今日の人類をはじめとした生物が生を全うしているといえる。

 

そこに、宗教が入り込む余地はない。

 

ただ一方で、神を信じている人(宗教の所属の有無は問わない)や神を信じないまでも、人類以上の知性や高度な文明を持った上位概念的な存在がいるのではないかと感じている人らからすると、上記の仮説の場合、腑に落ちない部分もあるのではないだろうか?

 

原始から現在に至る過程で、熾烈な生存競争を勝ち残った生物たちの末裔が私たちであると考えるのはいまいちピンとこない。

 

自然淘汰による生物の進化はあまりにもランダム性が強すぎて、あまりにも奇跡的すぎるという点である。

 

つまり、生物が自然淘汰により奇跡的な確率で現在に至るという一見科学的にみえる仮説よりも、人間よりはるかに上位の知識や文明、力をもった「何か」(神かもしれないし宇宙人かもしれない)が世界の物理空間や生態系を設計したという仮説の方がまだしっくりくる人もいるのではないか?ということである。

 

しかし、そういった問いに対してドーキンス氏は恐らくこう反論するだろう。

 

「物理空間や生態系を設計した存在を設計したさらに上位の存在はいったい誰だ?」と。

 

我々を設計した存在がいるのだとしたら、その存在を設計したさらに上位の存在がいないといけない。

 

そうなると、存在を上回るさらに上位の存在がいて、またさらに上位の存在が…。という無限のループに陥ってしまう。

 

さらに、上記で述べたように「ゲーテルの不完全性定理」により、絶対的な神の存在は否定されている。

 

「物理空間や生態系を設計した存在のさらに上位の存在が誰なのか?」という問いそのものが、神がいない何よりの証明であるのだと思われる。

 

それでも浮かび上がる疑問点

 

絶対的な神の存在は「ゲーテルの不完全性定理」により否定されているのは、既に上記の通りだ。

 

しかし、「ゲーテルの不完全性定理」はこの世の絶対性を否定したわけであり、人類よりもより知能や文明の高い存在を否定したわけではない。

 

さらに、不完全性定理もドーキンス氏も物理空間上の絶対性・神を否定しているのであって、情報空間上に関しては言及していない。

 

物理空間において神を否定するには、

 

「神様ここに連れてこいよ!」

 

の一言で終了できるが、

 

情報空間上では、神をはじめとした様々な概念が無限に想像できる。

 

ドーキンス氏は、物理空間上での神の否定をこれほどまでにと思えるほど痛快にやってくれた。

 

次は、情報空間上での神について論じていただきたいものだ。