こんにちは。よねひろですウインク

9月になりましたね。自分のサイトの準備もいい感じ。もうすこししたら、皆様にお見せできますパンダやしの木

時間がいつもよりあるという事は、脳みそ脳みそが過去にあったことをたまに思い出させてくれる事があります。

よくお年寄りとかが過去何十年も前に経験したことを昨日の事のように思い出す。。。。。とか聞きますが、あれに似てるのか?

嫌な奴の事をたびたび思い返したりしてムキー、でも、また忘れます爆笑。良いことだってたくさんあったはずなのに風船イエローハートハートグリーンハート、そっちを思い返す方が「えーと」と思ってしまうのは人の性なのかしら?

それともよねひろが悲観的なのかな?よくわからい。

で、「人生の中で一番恐怖ポーンだったのは、なんだろう?」と考えたらすぐに答えが出てきました。

ズバリ「アーサーフィンドレーに初めてついた夜三日月」でした。

そりゃ、過去に振られたりバツレッド、勉強してもひどい点取ったりして手裏剣他の事でも落ち込んだり泣いたりでうずまき雷絶望的な気分になったことはあるけど、「あの夜新月」の恐怖と言ったらないです。比べ物になりません。ヘビ

 

職場で村八分状態で、誰も見方もなく、膀胱炎とぽりーぷと、頭の毛がどんどんおちてって、会社辞めて悲惨だったあとに、ようやくアーサーフィンドレーについたんだけど、そもそも、そんなに英語ができるわけでもないのに、いきなり渡英イギリスしてさ、外人の中に混ざって一日8時間×3週間もどうにか切り抜けようと考えるよねひろも、どうかしてたんだけど、わかっていたけど、なんとかなるさ、はははニヤニヤ、となかばやけくそメラメラで度胸だけはあったから、12時間飛行機+2時間半バスで、見知らぬ国、初めてのところ、にふらふらになりながらついたのね。

 

よねひろは乗り物にあんまり強くなくて、さらに飛行機飛行機は10年以上のってないわけ。だから、アーサーフィンドレーで受付フラッグがすんで、一気に力が抜けたのか、えらく疲れてひどい状態に手

そのあと、普通にしてたつもりだけど、最初の学校説明会&レクリエーションは当然周りは外人だらけ。赤ちゃんおじいちゃんお母さん何をいってんだかわからないし。心の中はおどおどしっぱなしハロウィン

自分の部屋に帰っても何も考えられずにいて、「あしたからどうしよう?しょんぼり日本でミディアムの修業をしてたから、ここで通じるとはかぎらないし、クラスについていけるかもわからないアセアセ。足手まといの日本人だといわれるかもしれない。ガーン多少英語がわかってるつもりでも、もしかしたらもわからないかもしれないのに、ここにきて、よかったのか?」と恐怖心ドクロドクロがもたげてきたのです。注意

 

こういう時、同じ日本人の人でもいればよかったのかもしれませんが、いないし。。。一人で何があっても切り抜けなければいけないと感じたら、涙が出るより、こわくてどうしていいかわからない感情がぐるぐる回り始めて、気持ち悪くなりました.。

 昔読んだ本にメモ「難しいという事と感じることも、一度に全部やろうとするから難しく感じるのだ。ダーツ一つ一つできる事からやっていって、問題を細分化してやることがいいよ。」と書いてあったので、まず、深呼吸して気分を少しでも良くしようと試みました王冠2

 

日本を発つ前も、予約電話の仕方もわからず、送金方法お金も不明でも、一つ一つ調べてメガネ、聞いて、飛行機も予約して、まず乗って、イギリスについて、入管を越えて、と混乱しないように、「一つ一つくつ」やってきたことを思い出して、泣くのは、どうしようもなくなった時で、まだ、そこまでじゃない!ダルマと、深呼吸を繰り返しました時計。荷をほどき、明日必要と思える物だけ出して、風呂も入らず、たぶん、9時くらいには寝たと思います。

でも、10分後くらいには目が覚めて、心臓がバクバクしてるの。「早く寝て、明日の朝になれば、旅の疲れも少なくなり、きっと、大丈夫になるよ。日本国旗」と自分自身に言い聞かせるのですが、時差の関係もあり、頭が全然はっきりしなくて、もはや、負け犬の遠吠えですわパグ

寝てみる。30分後に目が覚める。目をとりあえずつぶってみるおやしらず。でも、寝れない。水を飲んでみるみずがめ座。ダーリンの写真を眺めるふたご座。日本で「がんばってね!タコ」と言ってくれた人の事を思い出す。

ありとあらゆることをしてみるのですが、時間は一向にたたなくて、異国の地にただ一人。3週間もどうするのよ?と悲嘆にくれる。傘

始めて来る場所なのに、合うかどうかも何もわからずに、なんで長期間申し込んだのよ?(※コースは一週間単位でとれる馬)と自分の向こう見ずさを非難しても後の祭り宇宙人くん

。だれに強制されたわけでもなくて、自分で選らんできた。そのことで、自分がこんなにも窮地にたたされるとはムカムカ

なさけないやら、疲れて体調悪いし、気分は最悪パック。八方ふさがりで、しずしずと泣きましたみずがめ座

 

「明日コースオーガナイザー(コースの責任者)に云って、早く返してもらうか、コースを縮小して、早めに帰国できるかきいてみよう。でも、お金を払っちゃたから、この部屋で、帰国する日までいさせてもらおうか?飛行機の変更はできるかな?無理かな?どっちにしても、こんな不安定な精神状態ではなにもできないよ!下矢印もやもや」と不安が不安をよんで、もうどん底の気分です十字架十字架

 

日本にいれば、全く違った場所にいてもパソコンメールや電話で誰かと話して不安を解消できたでしょうが、よねひろは携帯携帯を日本においてきてしまい、どうにもできなかったのですね。(※その後バイキンくん、学校内の電話から国際電話を掛けるという方法をおちついてからしましたが。)

お願いお願いお願いすがるものがほしい。お願いお願いお願いでも一人ぼっちショボーン

明日からの3週間乗り切れるかわからない恐怖が、わたしをおかしくしていましたゲッソリ

汗がどっと、出てきます笑い泣き。寒い季節で、上掛けが必要な時でも、汗がでました。

このままだとおかしくなるんではないか?脳みそと思った瞬間、「そうだ、上の人(くもりスピリット・霊界)にお願いしよう」と、神にもすがる。という方法を思い出して、そしてアーサーフィンドレーは正に「スピリット宝石ブルー宝石緑宝石紫」がたくさんいる場所でしたので(流れ星あとで思い出したが流れ星

「スピリットの人、わたしは今、日本からここにきて、明日からやってけるかどうかわからないで、不安でおかしくなりそうです。助けてください。お願い。このまま、何もせずに日本に帰ったら、快く送り出してくれたダーリンやほかに人たちにもうしわけない。なにより、自分でここに来ることを選択したんです。仕事も辞めて。おねがいだから、明日の朝にはまともな気持ちにしてください。おねがい。」と、本当に「スピリット」にすがりました。

もう、どうしようもない気分は治らないで、ただ、ただ、時間が経つのを目をつぶってこらえていただけでしたゲホゲホ

 

あんなに時間が経つのが怖く、砂時計明日が怖かったことはありません。自分で望んでいったのにもかかわらず。。。。

 

 

いつの間にか、少し寝れたようで、目覚ましの音で目を覚ましました腕時計。汗はかいていましたが、ホンの少しでも寝れたので、到着した時よりましな気分になっていました学校。そして、不思議なことに「今日、授業を午前中うけてみて、何言ってるかわからずに、授業にもついていけなかったら、その時、かんがえよう。支度して、とりあえずは朝ご飯サラダホットケーキを食べよう」と思えたのです。

もう、容量いっぱい過ぎて、思考停止したようにもみうけられますが、今考えてみると、「スピリットちょうちょちょうちょ」たちが一生懸命、前後不覚になっているわたしの神経をなだめて、学びへと導いてくれたのが、わかります。

不思議なくらい、混乱した翌日は平静にもどってからです。あれは私のちから、というよりはかられの「協力オカメインコハリネズミ三毛猫」だったと感じます。

その後も、一日一日を送るのが大変で、「あと一日がんばろう」と毎日自分に言い続けました。

3週間と考えると気が遠くなりそうなので、「この2時間頑張ろう」「この次休憩だから、そこまでやろう」とか、最初に書いたとおりに「大変だと感じることは細分化してこなす」を実行して、他の事は何も考えませんでした。いや、かんがえられませんでした。仕事も恋人の事も家族も、授業が終わって寝る前にすこし思い出すだけで、余裕がまるでなかったから。

泣き言をいいたいけど、自分でえらんできたから。。。(そもそも日本語しゃべれるひといないし。。。)

最初の1週間がなんとか終わり、最後の日にクラスメイトとった集合写真がありますカメラ

私以外の人は英語が堪能で(ヨーロッパの人も多数いたが、英語は普通にできる椅子)きっと楽しかったと思うが、わたしは楽しかったより、「やりとげた。とりあえず、なんとかなった!」という気持ちでいっぱいでした。

みんなで肩をくんで、笑顔のよねひろとクラスメイトの写真からはそんなわたしの悲壮感、混乱はきっと見えません。わたしだけが、わたしの気持ちを知ってましたカラーパレット

今、家にその写真をかざってありますが、見ると、なんて自分はこの時つらかったか、そして勇気があったかと、しんみりします。

 

2回目(今年)行った際は、そこまで悲惨な気持ちにもならず、来るべきことに気持ちを向けて、「わかんなかったら、いいや。質問すれば。しょうがないし目」とやや、ましでした。

なにより、外国人のクラスメイトがいいひとばかりで、よねひろのわかりずらい英語にも対応してくれて、先生もみんな親切で一流の素晴らしい人ばかりだと確信してました。日本国旗「なんとかなる」と1回目めの経験からわかってましたから。。。。

だから、その次、そのまた次はもっと「楽」になり、「大変だけど、楽しい晴れ」というパーセンテージが増えていくと感じます。

以前のブログで「コンフォートゾーン(自分が快適だと思う場所)からでないといけない。成長するためには、外に出なければ」と書きましたが、よねひろはいきなりイギリスイギリスへいきましたが、恐怖を受け入れた代わりにたくさんの宝物宝石紫宝石緑宝石ブルーを手にしました。

あの、恐怖の「最初の夜三日月」があったからこそ、自分を信じられるます。そしてスピリット達とのさらなる「コミニケーション」の幕開けでした。

 

よねひろプチデビューしました。ココナラという占いサイトにでてます。(ミディアムは占いじゃないけど、カテゴリーはそこです。)

https://coconala.com/services/493141